読者には答え合わせよりエキサイティングな体験をしてほしい

 『鈍色幻視行』と『夜果つるところ』は、どういう順番で書き進めたのだろうか。

「先に『鈍色幻視行』の連載が始まって、わりと早い段階で『夜果つるところ』の冒頭部分が出てくるんですね。書いていくうちに『作中作の方を仕上げた方が、こうして断片でそのつど入れていくよりも書きやすいのではないか』と思って、一旦本編を中断して、『夜果つるところ』を一気に書き上げ、また『鈍色幻視行』に戻って完成させた、という流れですね。その2冊を出版するタイミングは、いろいろ鑑みて、同時刊行ではなく発売日をずらした方がいいということに。『鈍色幻視行』から読んでもらうと、作中に出てくる『夜果つるところ』について、読者は否応なく想像する。すると、読者ひとりひとりの中で『幻の作品ってどんなものだろう』とイメージが膨らみ、無限のテキストができるわけじゃないですか。同時刊行だと、いわば作中作の答えが出ている格好になって、想像が閉ざされてしまう。答え合わせよりエキサイティングだとなって、2カ月連続刊行にしました。とはいえ、『夜果つるところ』から読み始めてはダメというのでもありません。私としても、自由に読んで楽しんでもらえるのが一番うれしいんですよね」

 実際、読む順番や、並行して読むなど読み方次第で、真相の見え方も大きく変わりそうな可能性に満ちている2作。ここは読者にとって悩みどころかも。

 ちなみに、『夜果つるところ』は一人語りで進む作品だが、『鈍色幻視行』では、視点人物が2人用意されている。主たる語り手は、中堅小説家の蕗谷梢。梢は、この旅行で関係者から話を聞き、飯合梓とその代表作についての本を書こうと考えている。加えて、梢の夫で弁護士の雅春がもうひとりの語り手として、ところどころで新しい見方を加えてくれる。

「アクの強い登場人物がたくさん出てくる作品なので、梢にはニュートラルな視点の持ち主になってもらったんですよね。とはいえ長い作品ですし、もう少しひねった視点もほしいかなと。何より。大切な人に死なれてしまった当事者という視点は入れたかったので、雅春にも語らせました」

 雅春は、前妻と死別している。前妻の笹倉いずみもまたもの書きで、『夜果つるところ』の脚本を書き上げた後、自死したのだ。だが、雅春はこのクルーズ旅行に梢を誘った際にも、そのことに触れなかった。夫の真意をつかみきれない梢。ふたりの夫婦関係も、そそられるサイドストーリーになっている。

「旅行の始まりではみんな飯合梓についてばかり語っているんですよね。でも、徐々にいずみの死がクローズアップされてきます。思えば、いずみは私自身がそれほど意識していなかった人物で、そんな彼女がもうひとりの死者、もうひとりの主役だったということに物語の終わりになって気がついたくらいです。最後の最後で彼女がガッと前に出てきたことが驚きであると同時に、自分の中でも結構意味があって。書いていると、そういうことが結構起きます」

 また、『鈍色幻視行』は船旅の描写も魅力的だ。

「それこそ10数年前なんですが、本当にこの小説に書いた通りの行程で旅をしてきました。船旅はやはり非日常っぽいところもあって、文字通り、運命共同体みたいな感じ。アモイのピアノの島とも呼ばれるコロンス島に上陸して、島にあるピアノのみを扱った博物館にも行きました。マカオとかもやっぱり独特な雰囲気でしたね。租界といっても、短期間に支配者が入れ替わっているような土地なので、あちこちに、時代、時代の痕跡が複雑に残っていて面白かったです。すごく忘れがたいです」

 実は、2作が完成を見るまでに足かけ15年かかっているという。だが、登場人物たちが交わす創作論を始め、時間がかかったからこそ恩田さんの中で熟成し、より豊かになった部分もあるに違いない。15年という歳月が変えた社会の空気や価値観が、作品をより響くものにしてくれたようにも思う。

「それで発見したこともあります。本でもそれは書きましたけれど、本を読むときに、作者が男か女かって案外気にしているんだな、自分の中にもジェンダーバイアスがあったんだというのは、日本社会が変わってきたから気づいたんだと思います。年月ってすごいですね(笑)」

 2週間の旅を通し、梢はどんな真相にたどりつくのか。それを見届けるのは、あなただ。

恩田 陸(おんだ・りく)

1964年生まれ、宮城県出身。『六番目の小夜子』でデビュー。2017年『蜜蜂と遠雷』で直木賞および本屋大賞を受賞。ミステリー、ホラー、SFなどジャンルを超えて多彩な執筆活動を展開。著書多数。

鈍色幻視行

定価 2,420円(税込)
集英社
» この書籍を購入する(Amazonへリンク)

夜果つるところ

定価 1,980円(税込)
集英社
» この書籍を購入する(Amazonへリンク)

2023.06.18(日)
文=三浦天紗子
撮影=平松市聖