当時は“築渡水門”という名称で、現在と同じように東西2基により構成された。水門の間に当時から民家があったかは定かではないが、相当昔からこのような風景があったことがうかがえる。当時の水門は失われ、真新しい水門に造り替えられてしまったが、今も340年前と同じように2基の水門によって干拓地が守られているというのは、なんだか嬉しい。

 スマホで何気なく眺めていた航空写真が気になり現地を訪れた結果、思いがけず江戸時代にまで遡る歴史に触れることができた。津田永忠は幸島新田のほかにも、岡山藩の多くの干拓事業にも携わっていた。倉安川に設けられた閘門施設である吉井水門など、当時の姿のまま現存するものもある。

 干拓地と水門を巡るため、また岡山に行きたくなってしまった。現地に行き、帰ってから調べ、また現地に行く。いつもこれを繰り返している気がする。全てを調べてから現地を訪れたほうが効率は良いが、楽しいかどうかは別問題だ。

 何度でも岡山に行きたくなるが、その前に、行きたい場所として地図アプリに登録してある未訪問の場所が100ヶ所以上ある。これ以上、行きたい場所が増えないことを祈りつつ、今日もまた地図アプリを眺めている。

写真=鹿取茂雄

2023.06.16(金)
文・写真=鹿取茂雄