そこで大切にしたい視点があります。専門家の難しい歴史書は「史実」の追求に血眼になります。それをあまりやりすぎると、読者が置いてけぼりになってしまいます。史実も大切ですが、史実には必ず「尾ひれ」がつきます。学者は必ず、その尾ひれを切り捨てるトリミングをしてしまいます。「素朴一次史料主義」というやつです。当時の一次史料だけを確かな史料とみなし、後世の史料や伝聞の記録を全部捨てます。見向きもしません。

 しかし、それでは、かえって歴史の真には迫れないのです。というのも、歴史は伝えられるなかで尾ひれがつきますが、その尾ひれのつきかたにこそ、歴史時代の人々の心があらわれる面もあるからです。ですから、この本では、一次史料だけでなく、二次的な記録が伝えるものも、なるべく紹介します。ただ、後世の記録は史実として、そのまま信じるわけにはいきません。この本を読むにあたっては、語尾の「と伝えられています」、「という伝説があります」といった表現にご注意ください。それは史実なのか、伝聞・伝承の類か、それとも、史実ではない伝説にすぎないのかを、語尾の表現で示しています。

 また、この本では随時、学術的に価値のある一般歴史書も紹介していきます。史実の細部を掘り下げたい読者は、そちらも参考にしてください。歴史学界でいう「先行研究」と「最新研究」というやつです。現在、学界では、家康のその史実について、どんな話がなされているかも、文中に示しておきます。

 家康は弱小大名でした。弱かったので、戦場で負けて逃げることもしばしばで、最初の妻子は殺す羽目にもなりました。それでも、起きあがって、この国のてっぺんに座ったのです。「どうする家康」も面白いのですが、この本には「家康はどうしたのか」が書いてあります。読者のみなさんの人生は一度きりで大切なものです。信長や秀吉のような力強い他人に振り回されず、ぜひ自分の人生を自分のものにしてください。この本がその参考書のひとつになれば、幸いです。

磯田道史


「はじめに」より

2023.03.10(金)
文=磯田 道史