といわれるではないか。まったくその通り。火事により江戸の上屋敷と中屋敷が焼けたとき、藩に御庭番が潜入しているという噂(本当にいたようだが)を使い幕府を動かすなど、大胆不敵なことをやってのけるのである。

 さらに借財を返し終り、一息ついたと思ったら、時代は幕末に突入。利忠は藩士に洋式の訓練をさせるが、当然、金がかかる。しかしこの頃になると、七郎右衛門も落ち着いたもの。なんなく金を作り出す。そんなことをやっているうちに、七郎右衛門にある決意が生まれる。小藩ゆえに身動きが取れないが、さりとて藩は捨てられぬ。ならば自分のいる場所を大きくすれば、自由に動けるのではないか。当時の武士としては桁外れの発想で彼は、ある事業を始めるのだ。これが事実だというのだから驚くしかない。

 そんな七郎右衛門を通じて、作者は何を表現したのか。作中で彼がいう「明日へゆかねばなりませぬ」であろう。大野藩にだって、時代の変化についていけず、悲劇的な死を迎えた人がいる。七郎右衛門が上手くやっていると思い、彼を憎む人もいる。だが、どんなに目を逸らしても、未来は必ずやってくるのだ。だから真剣に“今”と向き合う。混迷の時代となった現代を生きる私たちが、七郎右衛門から学ぶことは多い。

 もっとも七郎右衛門が必死に頑張れたのは、“わが殿”がいたからである。ここであらためて、木原敏江の『あーら わが殿!』について触れたい。この作品は、明治の末期を舞台にしたラブコメである。当然、ハッピーエンドである。その物語を締めくくるモノローグの冒頭が“あーら わがとの いとしの きみよ”であった。七郎右衛門にとって利忠は、尊敬すると同時に怖れを抱かずにはいられない人、無理難題を常に押し付ける困った人であった。しかし長い歳月の中で彼は、利忠との出会いが自分の人生そのものであり、侍としての幸福だと思うのである。だから彼は、大野藩という器に収まりきれない行動を取りながら、武士であり続けた。“わが殿”こそが、敬慕せずにはいられない“いとしの きみ”であったからだろう。主従という垣根を超えて響きあった、ふたりの男の魂。その音色は、どこまでも美しい。

2023.01.26(木)
文=細谷 正充(文芸評論家)