この記事の連載

 最近よく耳にする「大人の発達障害」。自らもADHDの当事者であり、東京大学大学院の心理学博士課程でADHDについて研究しているコッピ―さんが、ADHDの“特性”に悩まされた学生時代から、診断を受けた日までを綴ります。(全2回の2回目。#1を読む)

思い返せば、私はいつも仕事ができなかった

 思い返してみれば、コンビニやチェーン店のカフェ、居酒屋、食品販売といろいろアルバイトをしてみましたが、私はいつも仕事ができませんでした。1年半働いたコンビニでは「トレーニング中」のバッチが取れず、居酒屋ではエプロンの色が研修中スタッフ用のまま。“見て盗め”ができないため、仕事の手順を言語化して自分用マニュアルを作成し、自宅や学校で一生懸命暗記しましたが、新たなミスを生み出してしまうのです。

 レジではどんなに気を付けてもお釣りの受け渡しミスをしてしまったり、品出しに集中しすぎてアルバイト仲間に呼ばれていても気付かなかったり、高価な瓶を割ってしまったり。カフェや居酒屋ではとにかく注文ミスが多く、動きがのろいと言われ、頭は飽和して身体もすぐ疲れてしまい、個室で座って休んでいるのを目撃されて怒鳴られたりしました。

 同年代の人は怒られることなく働けているのに私はいつも悪目立ちしていて、自分でも「どうしてこんなにできないんだろう?」と不思議でした。今となっては笑い話ですが、当時の私は、自分はどこかが欠けている、駄目なやつなんだと思い、社会に出て働くということへの不安を漠然と抱くようになりました。

差別の歴史の授業中「そんなのおかしい!」と立ち上がった

 診断はADHDだけで、現在はASD(自閉スペクトラム症、対人関係を構築することが苦手・強いこだわりといった特徴をもつ発達障害)の診断基準からは大きく外れていますが、幼少期を振り返ると、自分が好きなものの話を一方的にし続けたり、正義感が異様に強かったり、たとえば、差別の歴史の授業のとき怒りを感じすぎて「そんなのおかしい!」と立ち上がった記憶があったり。意見が強くて教師から生意気に思われたりと、ADHDの特徴に留まらず、時にASDとして認識されるような、なかなかトリッキーな子どもでした。

 流行りものなどにあまり興味を持てず、雑談をつまらなく感じたり、集団行動で楽しくないときに楽しいフリができなかったり。中学生の時にいじめや所属グループから無視される経験があってから、自己肯定感が顕著に下がり、嫌われるのが怖くて、そこから、人に鬱陶しいと思われないようにするにはどうすればいいか考え、無難そうなキャラクターを演じるようになったと思います。そういう意味で、後天的に社会性を身に着けていったところがあると思っています(過剰適応と呼ぶそうです)。

2022.12.29(木)
文=コッピーちゃん