子ども時代という“異物”を体験して気づいた視点

 バナナマンのコントを見て“何事かの感覚”をもらい受けたという玉田だが、振り返ってみると、幼少期の時に“何事かの感覚”に気づかされることがあった。

「僕の家は共働きだったこともあって、小さいころ、土日は必ずと言っていいほど親戚の家に預けられていたんですね。小学校4年生ぐらいまでかな。親戚の家に行くとみんな結構年上ばかりで。遊んでもらったり、すごく可愛がってもらっていたんだけど、時折、ふとした瞬間に『なんか空気が違う』ことに気づいてしまうことがあるんですよね」

 日常生活の裏側にある背景。普段は見過ごしてしまいがちのその背景を含め、玉田は作品上で表現するようにしている。2016年に公演した『怪童がゆく』では大人の集団の中に中学生ぐらいの少年が入り、その“異物”である少年の視点から物語が展開していく。

 「たまに『今日はなんか揉めてるな』と子ども心にもわかる時があるんですよね。もちろん、僕に対して『今日はこんなことがあってイライラしてるから私に話しかけちゃダメだよ』なんて言ってくることは無いんですが、背景を察してしまうというか、感じてしまう。

 それに、親戚の家ってどこまでいっても自分の家ではないんですよね。やっぱりどこか違う。ちょっとしたところに自分の家とは違う文化を見つけてしまう時があって、そういう時にハッとしたことを今でも覚えています」

 建前の部分とその裏側の部分、そのズレを強調し、笑いを醸造する“異物”の視点は小学校時代から培われていたのだ。

『リアリズムの宿』山下敦弘

 高校へ進学した玉田はコント作品だけでなく、映画などさまざまな映像作品にも親しんでいく。そんな中、友人に薦められて観た『リアリズムの宿』に衝撃を受けたという。

 「僕は生々しさに惹かれるんです。小学生の時にダウンタウンの『ごっつええ感じ』とか、松本人志の『ビジュアルバム』とかのコントにハマっていて。あのコントって日常を少しずらして描いていて、物凄くリアルなんですよ。あの空気感が好きでした。

 『リアリズムの宿』を初めて観た時、小学生の頃にハマっていたコントのリアルさに似た感覚を覚えて、のめり込みました。ボソボソ喋っている濃密な空気感がまず素晴らしくて、カット割りで笑わせるような部分も新鮮で思わず声を出して笑っちゃいました。この生々しさを狙って作っているって本当に凄いなと思います」

 『ばかのハコ舟』や『リンダリンダリンダ』、『松ヶ根乱射事件』といった作品から人間そのものが孕んでいる滑稽さにも目を向けるようになった。

「思わず『わかる! これ合う!』ってなりましたね。山下さんの作品には人間のこんなところを面白がるんだ、みたいなところがあるんです。『あるある』と言ってもいいかもしれない」

 誰もが共感する精度の高い「あるある」を普段の状態に限りなく近い、リアルな生々しさを持って俳優たちが演じる。そうして、玉田企画の目指すカタルシスが結晶化するのだ。

2022.12.19(月)
文=CREA編集部
撮影=山元茂樹