弥生時代を起源とする「なぜ糸島の野菜は美味しいのか?」

 ところで糸島は、平野で育てられた野菜も美味! 

 「なぜ糸島の野菜はこんなに美味しいのですか?」

 ネギ農家の弥冨明子さんは、そうたずねられて答えられなかったことで一念発起。糸島の自然や風土、歴史、神話などにその答えを探し、学識者の先生に意見を求め、フィールドワークで調査・検討し……。仲間たちとそうして調べたことを昨年、冊子『知っとうかいな? 糸島』にまとめ、発刊しました。

 弥冨さんによると、糸島の豊かな食材の起源は約2,000年前の弥生時代にさかのぼるそう。中国の歴史書「魏志倭人伝」に“伊都国(いとこく)”として登場する糸島は、代々王がいたことが書いてあり、その記述のとおり3代の王墓(三雲南小路王墓、井原鑓溝王墓、平原王墓)が発見されています。

 そのひとつ、平原王墓は日本最大の内行花文八葉鏡(直径46.5センチ)をはじめとする出土品(約2,000点)すべてが国宝。この王墓を中心に、朝日が昇る位置から時節を知り、種まきや稲刈りなど米作りの目安にしていたのではないかとの説もあるとか。

 たとえば祈年祭近くの2月20日頃と神嘗祭近くの10月20日頃は、平原王墓の東の日向峠(ひなたとうげ)から太陽が昇ります。

 他にも東の原(春分の日と秋分の日)など、日の出のポイントが現在使われている二十四節気とも重なるそうです。

 また脊振山系のひとつ雷山は、日本で唯一、水火雷電神が鎮座する霊山として信仰を集めています。この雷山もまた、農業と関わりが。

 “雷が多い年は豊作”という言い伝え、実は科学的にも“窒素固定”として証明されています。肥料の三大要素の窒素が雷の放電によって空気中から水に溶け、土に染み込み、肥沃な土壌になるという仕組み。

 そして弥冨さんは、平原王墓に眠っていた人物を“日向(ひむか)の女王”と名付け、彼女が農作業の時期を見極めて民に指示し、出土した晴天鏡、雨天鏡などの銅鏡を使って神に雨乞いなどの祈りを捧げ、土地を治めていたのでは? と推察し、絵本にまとめました。

 「魏志倭人伝」の記述や「古事記」などの神話、王墓の位置や出土品、ゆかりの地名などの事実をパズルのように組み合わせていくと、糸島は日本の国造り伝説とも符合してくると弥冨さん。ちょっと鳥肌が立ちました。

2022.12.17(土)
文・撮影=古関千恵子