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梅安の哀しさ

──食事のシーンがあたたかくほっこりするほど、人を殺めるシーンの暗さや仕掛人の苦しみが、対比的に浮き上がって見えました。

 今回自分が演じてみてあらためて感じたのは、梅安がダークヒーローだということです。梅安がダークサイドにいることで、観客は安心して正義をかざすことができ、安心できるような気がするんです。逆に梅安がずっと日の当たる場所にいたら、観ている人は「おいおい……」って違和感を感じるんじゃないかと思います。

──「正義と悪」は、池波先生が作品のなかで描き続けた「人は善いことをしながら、一方では悪いこともする矛盾した存在」というテーマにもあります。

 実はいいことと悪いことって、紙一重だと思います。本当は世の中に悪なんて必要ないけど、もし「必要悪」という言い方があるとしたら、現代のように法が法として成立する前には、悪が必要な時代もあったのかもしれないですよね。

 法律が助けてくれない誰かの怨みや無念を誰かがはらしてくれることで救われる人がいて、自分の命をかけて自分や自分が愛していた人の怨みをはらそうとする人が活躍する『仕掛人・藤枝梅安』が少しも古びて見えないのは、江戸時代も現代も変わらない、人間の本質を描いているからではないかと思います。

──時代が変わっても人間が抱える闇は変わらないということでしょうか。

 作中に、「俺たちはお天道様を浴びられない」というセリフが出てくるように、梅安は自分たちが闇の世界に生きているのだということを自覚して生きている。

『仕掛人・藤枝梅安』第一作は、梅安と彦次郎がふたりでお伊勢詣りに行こうとするところで終わるのですが、「ところで俺たち、お伊勢詣りに行って何を拝むんだろうね。こんなに汚れてしまっているのに」と自虐的に語るんです。このセリフ、僕はすごく好きで、人って誰にでも自分で自分を自虐的に見たり、ネガティブに感じたりする部分があるなあと思うんですよね。自分の人生を自分で規制してしまうように生きている梅安の哀しさには、時代も立場も超えて共感できるものがあります。

──役者としてではなく、豊川さんご自身として梅安に共感できる部分もありますか?

 中年男の悲哀や孤独感でしょうか(笑)。一人暮らしでつまみをつくって一人酒って、八代亜紀さんの歌が流れる演歌の世界ですよね。そういう部分には、梅安にも彦次郎にも親しみを覚えます。

 仕事とはいえ、人を殺せちゃうところは役者としても人としても理解できないところですが、仕掛人の「仕事」は、理由もなく不特定多数を殺害するとか、上からの命令に従わざるを得ずに人を殺めるというのとはまったく違うんですよね。仕掛人には確かめようもないですけど、仕事を請ける際に必ず「ターゲットは絶対世の中のためにはならない人間ですよね」と確認しています。そこがこの映画のネガティブな部分をすくい上げている部分であり、池波作品の魅力でもあると、僕個人としては思います。

2022.12.18(日)
文=相澤洋美
撮影=山元茂樹