今どきの子の「大丈夫です」は「かまわないで!」の意味!?『ルポ 誰が国語力を殺すのか』が話題の石井光太さんと、歌人の俵 万智さんの初対談が実現。
学校の実情から、家庭で子供たちの中に豊かな言葉をはぐくむ道筋まで語り合いました。
言葉の有無が、その人の生きづらさ、生きやすさを左右する
俵 石井さんの新著『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に描かれた子供たちの実情に衝撃を受け、本当にいてもたってもいられない気持ちになりました。
虐待、不登校、いじめなど、子供に関わる様々な現場を取材されてきた中で、一つひとつの事象には個別の背景があるにせよ、子供たちの「生きづらさ」を生んでいる源が、国語力の欠如にあることを実感されたわけですよね?
石井 はい、僕は、少年犯罪や虐待をはじめ、困難さを抱えている人たちを取材することが多いのですが、彼らを取材していると、「感じていることを言葉にできない」「言葉で考えられない」ことが顕著でした。いわば言葉が奪われていて、自分が何を思っているのか、人にどう伝えたらいいのかがわからない。
彼らにもう少し言葉があればと思うことが多々あるのです。例えばクラスメイトとぶつかった時に、「うざい」と言い放ってしまえば、物事は悪い方向にしか行きません。しかし、「なぜ彼はそうしたんだろう」とか「私はどうするべきだったんだろう」と言葉で思考すれば、問題を解決して先に進むことができる。言葉の有無というのが、その人の生きづらさ、生きやすさを大いに左右するのです。
最初私は、これは困難を抱えた子たちに特有の問題だろうと思っていたのですが、ここ何年か普通の学校を数多く回る中で一般の子供たちも似たような状況に陥っているのではないかと感じるようになったんです。先生が「これ、どう思った?」と聞いても、「わからない」。「どうしてなのかな?」と聞いても「しらない」と答える。物事の因果関係や自分の意思を言葉で表現する以前に、そもそも考えようともしないのです。特に家庭格差、教育格差の下層にいる子供ほどそれが目立つ傾向にあります。
本書における国語力は、文科省の定義にそって、語彙力・感じる力・想像する力・論理的思考力の4つからなる「生きるための全人的な力」を指していますが、現場の先生の多くが子供たちの国語力低下に強い危機感をもっていることが本書の出発点となりました。
国語力を持たない子供たちは家庭や社会の犠牲者
俵 かつては不登校の子供も、「こういう理由で学校に行きたくない」というのが心の中にあったけれど、最近は「なぜ行けないのか」がわからないお子さんが多いそうですね。
石井 そうなんです。行きたくない原因を突き止めようとしても、子供が「わからない」としか答えられない。不登校がそうなら、例えば、非行で指導を受けても、なぜ悪いのかがわからない、だから反省できない。そういう子は停学処分されても、何がいけなかったのか全く自覚していないんです。
俵 本書で一番印象的だったのは、恋人から「恐喝」されてお金を巻き上げられても、「言われたから」と答えて、なぜそれが問題かを理解できない女子高生の例でした。
私は、子供が大人に対して何かの理由を答えなかったとしても、それは「面倒くさいから」なのだろうと想像していたんです。でも、よくよく心の中をのぞいてみても空っぽ、という例を見て、非常にびっくりしました。
石井 本来、人はみな自分の気持ちに向き合ったり、表現をしたりしたいものだと思うのです。それが人生を生きやすく、かつ楽しいものにするのですからなおさらです。しかし、家庭や社会が、彼らからそういう力を奪い取ってしまった。そういう意味では、国語力を持たない子供たちは家庭や社会の犠牲者だと言えると思うのです。
詳しくは本に書きましたが、一番大きいのは家庭の問題です。親が頭ごなしに子供を怒鳴ったり抑圧的な言葉ばかり使っていたりする、あるいは過干渉で何から何まで介入していれば、当然子供は萎縮して言葉で物事を考えようとしなくなります。
「読み聞かせ」で子供の言葉が自然に鍛えられる
石井 また、絵本の読み聞かせをする家とそうでない家とでも違いは顕著です。多くの場合、国語力の低い子供の多くは、親が家で読み聞かせをしていない。
俵さんは『かーかん、はあい』という本で、お子さんに対する読み聞かせの体験を書かれています。あそこに書いてある読み聞かせは、理想的なものだと思うんですよね。
例えば、『りゅうのめのなみだ』という絵本が出てくる回では、主人公と同じように家にりゅうを呼びたいと思った息子さんが、りゅうの声色をまねる俵さんに、「ねんどあるんだけど、こんどねんねしよ」とか「カレーたべよ」と話しかけてますよね(笑)。
『ぐりとぐら』の回なんて、俵さんが難しいフレーズとかをアレンジして読んでいると、息子さんが「それ、どこかに書いてあるの?」と文字に興味をもつ。
読み聞かせは、本そのものの豊かさにふれられるだけでなく、そういう親子のコミュニケーションの中で、子供の言葉が自然に鍛えられて、語彙力、情緒力、想像力がどんどん膨らんでいく良さがあります。
俵 息子がまだ小さかったころ、私自身が楽しいからやってたんですよ(笑)。読み聞かせって、言葉の観点から言うと、すごく贅沢なオーダーメイドの時間。子供がちょっと意味がわからなくて、「え?」って顔をしたら、「この言葉はまだ知らないのね」とかみ砕いて説明したり、喜べば調子にのって話を盛ったりできますし!
うちの子は幼稚園で何があったか聞いてもなかなか話してくれませんでしたが、絵本を介すと、自然にコミュニケーションがとれる効用もありました。
本当に言葉って、お金がかかるわけでもなく、子供にプレゼントできる一番大事なもの。お金は使ってしまえばなくなるけれど、言葉は使えば使うほど増えていく。その子にとって、一生モノの財産になる気がするんです。
石井 人は心でなにかを感じるから、それを言葉にしようとするわけで、その感じる体験をいかに子供の頃に親が用意してあげるかが大切ですよね。よく、「スマホとかタブレットの自動読み聞かせじゃダメなの?」って尋ねられますが(笑)、スマホ育児は、一方的に情報を垂れ流すだけだから、コミュニケーションの中で言葉が深まっていくものがないですよね。
2022.11.12(土)
撮影=末永裕樹