近年、〈発達障害〉に対する社会的な関心が高まっていますが、文学研究者・横道誠さんの新著『イスタンブールで青に溺れる 発達障害者の世界周航記』は、「脳の多様性の時代」の幕開けを告げるような鮮烈な一冊。

 本書の刊行を記念して、異色の文学研究者と、近年の韓国文学ブームの立役者として知られる翻訳家・斎藤真理子さんが語り合いました。

横道 本日はよろしくお願いします。斎藤真理子さんとは初対面なんですが、実は以前から私は斎藤さんの翻訳書のファンで愛読してきたことから、今回ゲストとしてお招きした次第です。

斎藤 お声がけいただき光栄です。ちょっと前までウィーンにいらしたんですよね?

横道 昨年の12月から4カ月間、研究滞在でウィーンにいました。

斎藤 ちょうど本をつくる期間にウィーンと東京でのやり取りだと、なにかと大変だったんじゃないですか?

横道 はい、たとえばFedExで送られてきたゲラがなかなか受け取れなかったんですよ。住んでいたアパートメントのインターフォンが、実際の部屋に対応していないおかしな作りで(笑)。

 ASD(自閉スペクトラム症)に付属する聴覚情報処理障害を抱えた私は電話がすごく苦手なので、基本的に電話を取らないようにして生きているため、何度もすれ違ってしまう。再配達を依頼しても時間指定を守ってくれず、もうこっちから保管場所に取りに行くと申し出たら、そこは巨大な倉庫街!

 “カフカ的展開”で、現地到着から一週間もゲラが受け取れない状況が続きましたが、最後は別室の親切なご婦人が受け取って、私に渡してくれました。

斎藤 とんだトラブルでしたね!

横道 そんなウィーンでの配達員とのやり取りに懲りて、ゲラの返送は、ちょうどベルリンに行く用があったので、現地のFedEx営業所から発送しようとしたんです。そしたら今度はベルリンで道に迷って高速道路に徒歩で入ってしまい、パトカーが出動する騒ぎになりました。どうやら自殺を図ったと思われたみたいで……。

 しかもパスポートをホテルに忘れてしまっていたので、すごくややこしい事情聴取になりました。私の海外での典型的な一コマですが、今回もやってしまったなと……。

斎藤 もう本当にお疲れ様です、という一言しか出ない(笑)。本書は、ほとんど旅をしない私が読んでもすごく面白かったのですが、飛躍と幻想に満ちたテキストと旅という実態のある行為が、グルグル巻きのワンダーランドになって吹き出しているんですね。

 一篇読んでああ面白かったと完結するのではなく、各都市のイメージが閉じないまま逸脱して、また次の場所と響き合っている。時空を超えて過去ともつながったかと思えば、異国の美しい描写のなかに“脱男性化の兆し”とか揺らぐセクシュアリティの話がしれっと差し込まれてきたりする。いままで読んだことのない“ひとりポリフォニック”な文章で、すごく驚きました。

横道 嬉しい言葉をありがとうございます。ポストモダン文学が好きなので、ちょっとした遊び心を入れたかったんです。ASDは昔から想像力の障害と言われていて、状況に応じた配慮などが難しかったりする場面もあるのですが、じつは奇妙な形で想像力が強い人も多く、私はどの地を訪れても想像力が三段跳びに飛躍、あるいは現実を離脱して横滑りしていってしまうんです。

 旅を終えた後も同様です。たとえば斎藤さんが訳されているハン・ガンの『すべての、白いものたちの』を読んだときも、ベルリンで見た雪の光景がオーバーラップしました。前著『みんな水の中』でも、ハン・ガンを引用しましたし、この作家をこよなく愛しているんです。

 じつは前著のデザインは、5種類の白を使い分けている『すべての、白いものたちの』を意識して、その青バージョンというイメージで調整作業をやりました。「ここは青みを10%あげて」とか。

斎藤 いろいろな連想が重なり合っていくような、青のグラデーションでしたよね。ハン・ガンの言語感覚ってやはり独特なものがあります。『ギリシャ語の時間』を翻訳したときに感じた作品世界の感覚もまた、どこか水の中というか、おぼろげな感覚がしました。

 横道さんが発達障害の特性として繰り返し書かれている、ぼんやりと「水の中」を生きているような身体感覚は、じつは私自身の原風景とも重なるんです。子供のころの一番古い記憶は、水の中にいる光景です。多分3〜4歳かと思うのですが、はっきりはわかりません。

 私は新潟出身ですが、家族で新潟港に行って、靴を投げ捨てて、一家みんなで水の中に入ってゆっくりと動いている。それはどこまでも青いんですね、シャガールの絵のように。そんな重力のない多幸感に満ちた原初の記憶が、横道さんの作品を読んでいて呼び覚まされました。

横道 とても興味深い記憶ですね。ところで今回の本の執筆を通じて私が発見したのは、「みんな水の中」と感じつづけてきたのは「空の青」だったということ。私は歩くとき、いつも顔をあげて空を見ているし、青いものを目で追っています。考えてみれば、ふだん目にする一番存在感のある「青」は空の色――それが自分のふわふわした感覚と重なって、水の中にいる感じをつくり出しているんだなと、書き終わって気づきました。

斎藤 時に人は、空があることを忘れてしまっている気がします。パク・ミンギュの『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』は、韓国が経済危機に陥った時代を背景に、自分がいつメール一本で首を切られるかビクビクしている男が主人公の物語です。

 ある日、旧友がやってきて、一緒にキャッチボールをしたら、ふと空が見えるんですね。空があることを何年も忘れて生きていた主人公が、野球をして空に気づく小説ですが、人間のすごく大きな可能性を示唆している気がします。人は空に救われることもあるのだと。

 私自身、人生のなかで置き忘れてきた青がありますが、『イスタンブールで青に溺れる』を読んで、幼少のときの水の記憶や、いままで思いだせなかった青の記憶が喚起されました。

2022.06.26(日)
構成=編集部
写真=末永裕樹