この時も同じ「ビデオ」という手法が使われた。震災発生5日後のビデオメッセージの中で、上皇さまは意外なことに「信じる」という言葉を一度も使っていない。少し煩雑になるが、詳細に振り返ってみよう。
上皇さまはまず、被災地の悲惨な状況に対して「深く心を痛めています」と語った。「多くの人の無事が確認されること」については「願っています」。原発事故に関して「事態の更なる悪化が回避されること」を「切に願っています」。被災者の状況改善と復興への希望を「心から願わずにはいられません」と語り、国民が「この不幸な時期を乗り越えること」を「衷心より願っています」と続けた。そして最後に、被災者が日々を生き抜き、国民が復興の道のりを見守り続けることを「心より願っています」と結んでいる。
使っているのは基本的にすべてが「願う」という動詞であって、「事態の好転」を「信じる」とは決して言っていない。
「願う」という言葉を国語辞典で調べると、「希望が実現するよう請い求める」などと書いてある。つまり天皇は「事態の好転」への自らの「希望」を表明しているだけであって、それ以上のことは言っていない。
「希望」という表現で連想するのは、かつての昭和天皇の言葉遣いだ。昭和天皇は、今から思うと信じられないような、ぶっきらぼうとも思える「希望する」という言葉を多用していた。
1959(昭和34)年の「伊勢湾台風」の際には、皇太子として現地を見舞った上皇さまに、こんな言葉を託した。「被災者は色々苦しいことと思うが、困難にうちかって一日も早く立直るように。また、官民一体となって復旧に努力するよう希望する」
東日本大震災での上皇さまのメッセージにそのような「ぶっきらぼう」な印象は皆無だが、「困難に打ち勝ち、復興することへの希望を表明し、その実現を求める」という点では、昭和天皇と同根のものがあるようにも思える。
「信じる」の主語は誰?
震災とコロナという「災いの種類」の違いはもちろん無視できない。状況が日々明らかになっていった震災の被害を考えれば、この段階でそう簡単に「乗り越えることを信じる」とは言えないという事情もあっただろう。
2022.05.24(火)
文=大木賢一