コンフルエント(confluent)とは合流する、融合するとの意味だ。コンフルエント・ラブは、相手の性格や人間性を知り理解することに重きを置く愛の形である。男性の年収・社会的地位、女性の容貌・優しさのようなステレオタイプ化した魅力ではなく、相手にどれだけ無防備な自分をさらけ出せるかによって愛情を測る。

 その際、関係の永続性は重視されない。関係に満足しない場合、別れる選択肢も取り得る。コンフルエント・ラブは流動的だ。こうした立場から見ると、離婚すれば社会的地位や経済的満足が低下するとの理由で、愛情がないまま婚姻関係を維持する夫婦こそ不純となる。

 そうした恋愛・結婚観の変化の時代に、眞子内親王に対し「それ相応の相手を選択したら」「周囲のアドバイスを聞いたほうがよい」と考えてしまう人は、依然として結婚という形式を重視する近代的価値観を維持している。だが、昭和的(近代的)説諭はもはや全面的には通用しないと思う。

 眞子内親王は、年収や地位や出自ではなく、ただ一緒にいて居心地がよいとの理由で、小室を選択したように見える。小室はかけがえのないパートナーであるはずだ。

 かつての皇室は、近代家族化のシンボルであった。その恋愛と結婚は、人びとの憧憬の対象となり得た。そうした時代は、恋愛と結婚の自由化が臨界に達したとき、終わりを迎えた。新しい時代、かつて近代家族の規範を示してきた皇室のありようも変化しなければならない。

 皇室の若い世代の恋愛・結婚に、人びとがどのような態度を示すのかは、これからの皇室に私たちが何を求めるのかという問題とつながる。

 皇室は多様な人生を生きるさまざまな人を包摂する存在へと変わるべきなのか、あるいは、従来どおりの伝統や家族の範を示すべきなのか――。

 恋する皇室/恋をしない皇室/新しい形の恋をする皇室……。若い皇族たちの生き方をどう考えるのか。皇室のジェンダー平等、皇族の自由をどう捉えるか。あるいは、伝統の継承や国民統合に皇室はどのような役割を果たすべきなのか。それを考えることこそ、皇室を社会のなかに抱える私たちの課題である。

2022.04.28(木)
文=森 暢平