東京の街を、走る。

 そんな非日常の体験に身を委ねると、「新しい発見」がいくつもあるらしい。

 去る2022年3月6日、元サッカー日本代表の北澤豪さんはチャリティランナーとして自身7度目となる東京マラソンを走った。CREAアンバサダーの能美黎子さんは、沖縄、大阪、そして東京と3度のフルマラソンを経験したランナーだ。

 元トップアスリートと元体育会系アクティブウーマン。育ってきた環境も現在の立場もまったく違う2人にとって、「(東京を)走ること」の意味とは――。それぞれの観点から語られる、令和の東京ランナー大満喫のススメ。


30キロを超えると分かる「女性の強さ」

 北澤 能見さんは、学生時代に何か運動していたんですか?

 能美 水泳部と陸上部に所属していました。水泳は5歳から高校3年までちゃんと習って、陸上部は大会の時だけ。こう見えて、意外と体育会系なんですよ。

 北澤 ということは、マラソンに対する抵抗感は最初からなかった?

 能美 挑戦してみたいと思ったのは20代後半で、雑誌の企画に参加させてもらうところからスタートしました。「どうせやるならいい思いを」というモチベーションもあって、初めて参加した大会がハワイ・マウイ島のハーフマラソンだったんです。

 北澤 アクティブ(笑)。ハワイと言えば、僕は現役時代に「ホノルルセンチュリーライド」という自転車の100マイル走(約160キロ)に出場したことがありますよ。

 能美 南国の景色とか、耳に飛び込んでくる英語とか、日本ではなかなか味わえない“非日常”の雰囲気が素敵ですよね。

 北澤 景色の美しさはモチベーションになりますよね。初めてのフルマラソンは?

 能美 2015年の「おきなわマラソン」でした。ただ、初心者にとってはかなりキツい高低差があるコースで……。

 北澤 デビュー戦で痛い目にあっちゃったんだ。

 能美 そうなんです。その時に「向いてないのかな」と思いながらも、やっぱり悔しくて、同じ年の大阪マラソンにも出場しました。

 北澤 結果は?

 能美 4時間35分台だったかな。

 北澤 すごい!

 能美 38キロ地点の上り坂で心が折れそうになったんですけれど、沿道から「頑張れ!」と応援してくださった人がいて、その声に背中を押されて。

 北澤 僕は元アスリートだから、走ることの“苦しさ”を何となく想像できるんです。こんな言い方をしたら失礼かもしれないけれど、能美さんの普段の生活の中に、マラソンほど体力的に頑張らなきゃいけないことってないでしょ? どうして頑張れるの?

 能美 マラソンって、ある意味“ドM”の競技ですよね。

 北澤 間違いない(笑)。

 能美 私自身がそうなのか、それとも単なる負けず嫌いなのか……。同じ企画の参加者は、私以外みんな“4時間切り”だったんです。だから悔しさもありました。

 北澤 最近気づいたんだけれど、30キロを過ぎたあたりで止まって足を伸ばしているのは男性ばかり。その光景を見るたびに、「女性は強いなあ」と思うんです(笑)。

2022.04.25(月)
文=細江克弥
写真=釜谷洋史、宮田祐杜