柔らかくて歯切れもいい極上の鳥すき焼き
「ぼたん」で注文に迷うことはありません。ここは鳥すきやきの専門店。何も言わなくても、仲居さんが如才なく鍋の用意を始めてくれます。1階で熾した炭をくべた炭箱が設置され、その上に鉄鍋をセットしたら準備OK。手際よく鉄鍋に脂をひく仲居さんの所作を眺めているだけで楽しいものです。ねぎ、焼き豆腐、白滝と一緒に鳥肉を敷き詰め、割下を注いだら「鳥肉が煮えるまで少々お待ちください」。鉄鍋にきれいに並んだ鳥肉の美しさといったら、それはもう。「見ているだけで美味しそう」とは池田さんの言。
池田さんにとっては、鳥すきやきも初体験。すきやきと言えば、牛、と思いがちですが、すきやきの歴史を考えると、鳥の方が遥かに長い。そもそも、牛肉を食べるようになったのは幕末の頃。明治に入ると東京では牛鍋ブームが起こり、当初は味噌味だった牛鍋が、徐々に姿を変えて、現在のすきやきへと形を変えていきます。「ぼたん」創業の頃、すきやきは鳥と牛が共存する端境期。100年前の東京に思いを馳せながら、目の前の鉄鍋と対峙します。
鳥に火が通ったら、お待ちかねの鍋をつつきましょう。池田さん、あつあつの鳥肉を頬張ってひと言。「鳥すきやき、感動的です」。続けて「弾力があって、本当に柔らかいお肉ですね。あぁ、美味しい」。
「ぼたん」では毎朝、店内で鳥をさばいています。さばきたての身は柔らかく、歯切れもいい。雛鳥を丸ごと1羽さばくから、胸、ももはもちろん、砂肝にハツ、レバーといった新鮮なモツも余すところなく供します。ただ、つくねだけは別。味の濃い親鳥でこしらえます。ひとつの鍋で、鳥肉のすべてを楽しめるのも「ぼたん」ならでは。
ちなみに鍋に入っている焼き豆腐は、「ぼたん」と同じく創業100年を超える神田の老舗豆腐店「越後屋」から。鳥すきやきには、にがりの味がしっかりしている焼き豆腐がいいと、昔もいまも変わらぬお付き合い。
「ぼたん」の創業は明治30年頃。正式な記録がないことから、つねに「頃」と謳っています。そこには、四代目主人である櫻井一雄さんの「正確ではないことをお客様に伝えるのは忍びない」との真摯な思いがあるようです。
数年前からは長男の晶一さん、長女の美也子さんも一緒に店を切り盛り。建物然り、備長炭と鉄鍋で提供する鳥すきやきに、仲居さんや下足番の存在など、昔からのスタイルを継承する「ぼたん」の姿は一見すると頑なに映りがちですが、実は時代とともに柔軟に変化を遂げています。
「鉄鍋も炭箱もちゃぶ台も特注品なのですが、少し前に鉄鍋の深さを変えました」と、美也子さんが教えてくれます。「ぼたん」は炭火を使っているので、火力の調節はできません。煮詰まれば水を足し、薄まったら割下を加える。とは言え、吹きこぼれることもあるそうで、「お客さまのことを考えて、吹きこぼれがないように深くしたのが最近のことです」。
また、昭和4年に建てられた入母屋造りの建物は、年1回のメンテナンスを欠かしません。東日本大震災を機に、厨房と地下室を木造から鉄筋に変えて強度を増したと言います。
さらには「割下の味付けもつどつどで変えています。微妙な変化ではあるのですが、時代とともにお客さまのお好みも変わってきますので、日々、気を配っています」。醤油、味噌、三温糖、鰹だしでつくるという割下。美也子さん曰く「使う材料は変えることなく、配合を調整しながら、いつの時代も“いま”の味をつくり上げています」。
昨今ではクレジットカードが使えるようになったり、ホームページを開設したり、インスタグラムを始めたりと、美也子さんの口から「ぼたん」における変化が語られます。美也子さん、ふと何かに気づいたように、ぽつり。
「もしかしたら変化ではなくて、進化かもしれないですよね」
そう言って、懐こい笑顔を見せてくれました。
「ぼたん」の変遷を聞いていると、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『山猫』の台詞が思い出されます。
「変わらないためには、変わり続けなければならない」
受け継いでいく様式美はそのままに、食べ手の満足度を上げるためには変化を厭わない「ぼたん」の姿勢は、攻撃が最大の防御であることを気づかせてくれます。
目まぐるしく変わり続ける東京という都市で、もしかしたら「変わらないこと」がいちばん難しいことなのかもしれません。
〆の親子丼もまた絶品
鍋の中がすっかり片付いた後は、〆のごはんが待っています。おつゆかけごはん、おじや、親子丼からお好みで。
旨みがしみ出た鍋の中の割下をそのままごはんにかけて余すことなくいただくもよし。おじやでするすると五臓六腑に染み渡る悦びに浸るもよし。卵でとじた親子丼で満腹感と幸福感に包まれるもよし。
今回、池田さんのセレクトは親子丼。半熟の卵をまとった鳥肉もまた美味なり。
「〆の親子丼までいただくと、鳥すきやきを味わい尽くしたという達成感がありますね」
歴史的な建造物の情緒に触れ、さらには高級料亭のような至れり尽くせりの接客を受け、現代では希少となった鳥すきやきを堪能しながら、ひとり1万円でお釣りがくるというリーズナブルさも「ぼたん」の嬉しいところ。
2022.01.13(木)
文=花井直治郎
撮影=鈴木七絵