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世界に誇るグルメシティ東京の“食”を通じて、その背景にある自然・文化・歴史も体験してみませんか?
実はこのような旅のスタイルは、美食を意味する「ガストロノミー」と「ツーリズム」をかけあわせて「ガストロノミーツーリズム」と呼ばれています。その土地を深く知ることで、驚きや感動とともに料理を楽しめるとあって、既に欧米では広く浸透しており、日本でも流行のきざしを見せています。
そんな「ガストロノミーツーリズム」にうってつけのエリアが、美しい歴史的建造物の老舗が集まる「東京・神田」。東京の外食文化の歴史を感じられるこのエリアを、CREAアンバサダーの池田りりかさんが訪ねました。
由緒ある飲食店が軒を並べる東京の下町・神田

東京は神田の一角に、120年以上続く鳥すきやき専門店「ぼたん」はあります。
靖国通りと神田川に挟まれた小さな区画をそぞろ歩けば、趣きのある木造建築があちらこちらで目に留まり、中には暖簾がかかった飲食店もちらほら。「ぼたん」から南へ進むと「神田まつや」、東に足を運べば「いせ源」、その向かいには「竹むら」と、いずれも大正の終わりから昭和の初めにかけて建てられた建築物がいまも現役で客人を迎えています。
この4店は東京都選定歴史的建造物。2021年現在、96件ある東京都選定歴史的建造物の中で、飲食店の建造物が一箇所に集中しているのは神田界隈、具体的に言えば「神田須田町1丁目」しかありません。

由緒ある飲食店が軒を並べる理由のひとつは、「ぼたん」の周辺が太平洋戦争の空襲を逃れたことにあります。『未来へつなぐバトン 千代田区戦争体験記録集』によると、神田区(当時)の被害はかなり大きかったようで、約1万5,000戸の家屋が被災したとのこと。その中で、神田須田町1丁目は戦災を逃れ、当時のままの建物が奇跡的に現存しています。
もうひとつ、忘れてはならないのが暖簾を守り続ける店主たちの思いです。「神田まつや」は蕎麦、「いせ源」はあんこう鍋、「竹むら」は甘味、そして「ぼたん」は鳥すきやきと、ずっと変わらぬ料理を昔からの佇まいで供する老舗の努力があるからこそ、美しい建物で美味しい料理を、1世紀以上が経ったいまでも私たちは食べることができるわけです。


さて、「ぼたん」を訪れるのは初めてという池田りりかさん。「鳥」と染め抜かれた暖簾をくぐり、引き戸を開けて、びっくり。中では下足番が迎えてくれます。
下足番――最近ではとんと見かけなくなりましたが、かつては浅草や新宿の寄席などに名物の下足番がいたそうです。「ぼたん」ではいまも昔のままに、店名を染め抜いた印半纏を羽織った下足番が客の履き物を守っています。欧米のレストランでドアマンがゲストを招き入れるように、東京の鳥すきやき専門店では下足番が客を迎え入れてくれます。


靴を下足番に任せ、上がり框から店内へと踏み入れば、仲居さんの案内に沿って迷路のような廊下を伝って歩きます。少しばかり急な階段を上がった先に、昭和の時代へとタイムスリップしたかのような開放感のある圧巻の大広間が現れます。
「この空間だけでも満足度が高いです。建物もご馳走に思えてきますね」
池田さんは座布団に座って腰を落ち着けると、最大で60名が食事をできるという空間をぐるりと見渡しながら、感嘆の声を上げます。
2022.01.13(木)
文=花井直治郎
撮影=鈴木七絵