「妹を泣かせて悪いお兄さんでした」秋篠宮さまが、黒田清子さんの夫・慶樹さんを信頼した“本当の理由”《時間内にちゃんとリアクションがある》 から続く
2005年11月15日、黒田慶樹さんとの結婚式と披露宴の日を迎えられた紀宮さま(現・黒田清子さん)。ご結婚により皇族としての身分を離れられるまで、内親王として本格的に公務に励み、外国を公式親善訪問したのは、紀宮さまが初めてでした。ジャーナリストの友納尚子氏による「サーヤのご結婚 その全真相」(「文藝春秋」2005年1月号)を特別に全文公開します。(全3回の3回目/#1、#2から続く)
(※年齢、日付、呼称などは掲載当時のまま)
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中等科でのニックネームは「たらこ」
美智子さまが望んだとおり、紀宮さまは優しい少女に育っていく。自分のことは自分で、という美智子さまのお考えもあり、幼稚園のときからご自分で着替えをし、お料理も早くからお手伝いしていた。学習院では紀宮は「ミーヤ」と呼ばれた。「ミーヤは地味だけれど優しくて、本当にいい人」と同級生は声を揃える。
「体育祭で負けて悔し泣きをしている子がいると、もらい泣きしていたことがあります。困っている人が話しかけてくると、どんな時でも嫌な顔をせずに丁寧に聞いていました」
「中等科でのニックネームは『たらこ』です。焼きたらこが大好きで、美智子さま手作りのお弁当に必ず入っていました。ミーヤが他の子のお弁当を見て『それなあに』と尋ねたのは、ふりかけでした。初めて見たのでしょうか。さっそく翌日のミーヤのお弁当には、ふりかけが登場したそうです」
高校2年のときに、御所にお花見に行ったご学友の一人は、こう語る。
「ご家族とても仲が良さそうでした。1階の応接セットがあるお部屋で話をしていると、窓の外を蝶々のようにひらひらと走ってこられるご婦人がいて、誰かしらと思ったら美智子さまだったのです。お花見のスポットまで移動するお迎えの車が来たことを、わざわざ知らせに来てくださいました。通された部屋に、『燃える闘魂』とかプロレスのビデオがたくさんあったので、誰が見るの、とミーヤに聞いたら、『下の兄よ』と笑っていました」
2021.11.26(金)
文=友納 尚子