「映画好き」から「役者」になるまで
――瀧内さんは大学で教員免許を取得されてから俳優業を目指していますよね。そうしたメンタリティは以前からお持ちだったのでしょうか。
母親が大の映画好きで、小さい頃から一緒に観ていたのでなんとなく出てみたいなぁって、映画への憧れはありました。でもじゃあどうしたらいいかといったら、「東京に出る」という選択肢しか自分の中にはなかったんです。ただ、父親から「東京に行くなら大学は出ておきなさい」と言われたこともあり、大学には行かないといけない。ただ当時の私には、芸大や専門学校に行って映画を学ぶという発想がなかったんです。
そこで教育学部に進みました。子どもの心理を学んだり、非常に勉強にはなったのですがやっぱり役者になりたいという気持ちは揺るがなかった。教育実習先から自転車で帰っている途中に、たまたま映画の撮影をしている現場に遭遇したんですよ。そこでエキストラを一般募集していたので、思い切って応募して紛れ込みました。
――そうだったんですね!
はい。エキストラの撮影の帰り道に本屋さんに寄り、オーディション雑誌を買って応募したのが以前所属していた事務所でした。
エキストラとして参加していた作品は畏れ多くてタイトルは言えないのですが(苦笑)、いまでも時々観て、原点を思い出すようにしています。
――素敵なお話です。ちなみに、お母さまからはどんな映画を教わったのでしょう?
何でも観る人でしたが、特にメリル・ストリープが大好きでしたね。一緒に『プラダを着た悪魔』(2006)を観に行きましたし、『マディソン郡の橋』(1995)や『クレイマー、クレイマー』(80)も教えてもらって、コアな映画から『007』のような大作までたくさん一緒に観ました。
――これまでに観てきた映画で、「自分を作った」と思える作品はありますか?
大学生の時に都内のミニシアターで観たジョン・カサヴェテス監督の『こわれゆく女』(74)ですね。すごく強烈で、こんな映画があるんだと思いましたし、衝撃と共に感動したのを覚えています。こういった作品をやってみたいと思いました。
ちなみに、私は東京で初めて行った劇場がユーロスペースなんです。「ここで劇場体験をした」ということが自分の中ではすごく大きいですし、とても大切な場所なので、『由宇子の天秤』がユーロスペースで上映されるのが非常に感慨深いです。
――東京で最初に足を踏み入れた映画館がユーロスペースというのは、とても興味深いです。それこそ映画通のメッカといいますか、なかなか一見さんが辿り着けないような場所にありますよね。
渋谷の街を歩いているときに「あっこんなところに劇場がある!」と見つけて、気になって入ったんですよ。ちょうどそのタイミングで観られる映画もあって、ふらっと入って「文化に触れた」と思いました。出身地の富山にあったのはほとんどシネコンなんです。それもあって、ミニシアターというものに初めて出会ったのが東京で、ユーロスペースでした。ここで衝撃を受けたのは、アキ・カウリスマキの『マッチ工場の少女』でしたね。
2021.09.16(木)
文=SYO
写真=橋本篤
ヘアメイク=小林潤子(AVGVST)