日本ワインが元気だ。国内のみならず、海外での評価も高い。2020年2月には世界一のレストランとして名高いデンマークの「noma」のワインリストに、北海道余市町の小さなワイナリー「ドメーヌ・タカヒコ」のワインが掲載された。これは日本では初めてのこと。造り手の曽我貴彦さんに「コロナ禍で考えた日本でワインを造るということ」を聞いた。
――余市でワイナリーを立ち上げて10年が経ちました。スタート当初と現在ではどのような変化がありましたか?
コロナですね(笑)。10年という節目の年を、僕はコロナ禍で迎えることになりました。でも、それはひとつの社会状況であって、コロナがあろうがなかろうが、ワインを造るということに関しては何ら変わることはありません。
2020年もいつもの年と同じようにぶどうを育て、いつものようにぶどうの成長具合に悩み、いつものようにワインのことをああだこうだと考えているうちに、時間は過ぎていきました。そして気がつけば、11年目に突入していたという感じですね。
コロナ禍で考えたワインを造る意味
――世の中がコロナ禍に突入したのは「ドメーヌ・タカヒコ」のワインが「noma」のワインリストに掲載された、その矢先のことでしたよね。
いまにして思えば、タイミングとしては、悪くなかった気がします。これから先のこと、未来のワイン造りについて考える時間ができたという意味では、ですよ。
余市でワイナリーを始めたとき、僕の頭の中にはワインの売り先として海外という選択肢はなかった。そんな中、2020年の冬に「noma」と縁ができた。そのときに思ったんです。あぁ、ワインって世界中で飲まれているんだなぁと。当たり前のことなんですけどね。
それはつまり、頭の片隅にこれから先のヒントがぼんやりと見えてきた瞬間でもあったわけです。そしたら、コロナでしょ。余市にやって来てからずっとワインを造り続けて、お客様を案内して、あちこちに出かけたりしながらの忙しない毎日だったのが、ワインを造る以外のことは、ばたっとなくなってしまった。10年間、休みなく走り続けてきたのが、あれ、1日ってこんなに長いのって(笑)。
――おかげで、これからのワイン造りの進む道が見えたと?
これからどこに向かうべきなのか、何をするべきなのか。国内の市場だけでやっていくのか、マーケットを世界に広げていくのか、といったことを含めていろいろ考えましたよね。考える時間があった、という方が正解かもしれません。こんなに頭を使ったのはいつ以来だろう(笑)。
ワインを造るということには、経営の側面もあるわけです。僕らは趣味でワインを造っているわけじゃない。食べていくことがままならなければ、ワインと共に生きていくことはできません。これまでは無我夢中でやってきた。どちらかと言えばビジネスより、味を追求することに集中してきたと思っています。
でも、ちょっと待てよと。「noma」のワインリストにオンされたことを踏まえて、この1年、時間に余裕がある中で自分の気持ちを整理してみると、このままでいいのかと。これからのステップのためには準備をする必要があるんじゃないか、そう考えたんです。
――たとえば、どんなことでしょう?
世界のどこかで、日本のワインを飲みたい、飲んでみたいという人がいるなら届けるべきだと。さっきも言ったように、僕の中で海外はマーケットとして眼中にはなかったんです。
これまでの経験からすると、日本のワインを世界に売ろうとすれば、こちらから頭を下げてお願いするしかなかった。でもいまは、日本で造ったワインを面白いと思ってくれる人が海外にもいて、求められる状況が生まれつつある。以前の立場だと、日本のワインを欲していないインポーターに渡って、関心の薄い飲み手に売られていた。だから続いていかなかった。
けどいまは違う。情報が世界中に行き渡るようになったことで、僕らのワインを飲んでみたいという人に、ピンポイントで届けられるようになりつつある。それならば、世界という大きな市場で勝負できるはずだし、するべきなんじゃないかと。そのためには、僕らのワイン=日本のワインを造っていくということに対して、これまで以上に意識的でなければいけないと思ったんですね。
要は造っているワインの付加価値化です。ブルゴーニュがすごいのは、真似したいけど真似ができないところにある。世界観がある。実は日本のワインも独特なんですよ。雨も多いし、湿度も高い。気候的に見ても、世界のどこにもない味わいのワインを造ることができる。
海外と同じ味わいのワインを目指すのではなくて、日本でしかできない味を確立していく。僕はそれをずっと旨味だとあちこちで言っているわけなんですけど、日本だからこそのワインを面白いと思って価値を高めていくことが、これから先の10年だと思っています。
2021.07.13(火)
文=花井直治郎
撮影=石渡 朋