京都の街から外国人観光客の姿が消えた。日本最大の観光都市は、新型コロナで大きな痛手を被っている。
西アフリカのマリ共和国出身で、京都精華大学の学長を務めるウスビ・サコ氏は、京都大学大学院へ留学して以来30年近く京都で暮らしてきた。『アフリカ人学長、京都修行中』(文藝春秋)などで、空間人類学の視点から京都と京都人を研究し、その特異性を明らかにしてきたサコ学長。しかし、サコ学長が“京都人コード”と呼ぶ独特の文化がコロナ禍によって揺らいでいるという。(取材、構成:伊田欣司)
京都人の我慢づよいコロナ対応
新型コロナ感染症が広まってから、「京都の人たちは我慢づよいなぁ」と思うことがたびたびありました。
外国人観光客の姿が街から消え、緊急事態宣言で国内の旅行者も減り、飲食店、お土産物屋、ホテルや旅館は大打撃を受けています。ほんの数年前に「観光公害だ」「オーバー・ツーリズムだ」と騒いでいたのがウソのようです。
最近は会合など人が集まると「自治体の財政が危ない」という話をよく聞きます。ここまで京都の街が弱っている様子は、30年近く住んで初めて見ました。
それでも京都の人たちは、京都らしさを失わない。そこに我慢づよさを感じます。
お隣の大阪が「緊急事態宣言はもう終わったのかな」と思うほどにぎやかなのに比べて、いまの京都は寂しいくらいひっそりとしています。私の専門である空間人類学から見ると、京都は「地縁」が強い。昔から地域のつながりを大切にしてきたので、コロナ対策でも自分の身を守ると同時に、「自分たちの地域を守る」という意識が強く表れます。
しかし、そこで神経質になると京都らしくありません。「マスク警察」みたいな人がいないわけではありませんが、お互いに心地よく過ごしたいというのが京都人の基本ポリシーです。そのポリシーがあるから、“暗黙のルール”がいろいろできてくるのです。
2021.06.23(水)
取材、構成=伊田欣司