料理を「作らない・作れない」ことに罪悪感を持っている人に贈る、フードライター・白央篤司さんの金言&レシピ。

 冷凍食品にちょい足しするのも立派な自炊。簡単なことから始めてみませんか?


 献立がどうにも決められないとき、やっぱり鍋は重宝しますねえ。今季は韓国のチゲにハマっていました。

 近所に韓国食材店があり、そこのオモニ特製の「チゲのもと」が実にうまくてね。彼女はキムチづくりの達人でもあり、その汁と「チゲのもと」だけでかなりの味わいになるんです。

 ネギに白菜、キノコに青菜など具材はその日の気分でフリーダム。意外なところで「ちくわぶ」が合うんだなあ。

 鍋料理って「食材をざくざく切って、煮る順番など構わずに好きなものを入れていけばいい」という点が、うれしい。もちろんきれいに具材を切りそろえたり、調理順序が大切な鍋料理もあるけれど、うちの鍋はそういうのじゃあない。

 私の性格は至っておおざっぱ。細々した作業が多いレシピは正直苦手もいいところ。温度や時間、分量などが厳守の料理はもう何年作っていないだろう……(遠い目)。

 私が家事として料理を長く続けていられる理由のひとつは、

「そういうのは、やらない」

「そういうの、うちではやらない」

 を早めに決められたから。

 レシピ読んでいて「このとき温めの温度は70度で」「一度ふるいにかけます」「汁はいったん濾して」みたいな記述が出てくると、すぐに「私はやらない」と即断してます(笑)。そういう料理は私にとって、買ってくるか、外で食べればいいものだから。

 いや、昔は一応トライしましたよ。何度か体験してみて、出来上がったときの達成感、うれしさなどを総合的に心のはかりにかけて「うーん……これなら作らず、買おう!」「そりゃおいしいけど、時間的にも経済的にも(私には)割に合わない」「たまの趣味で作るのにはいいけど、私の日常には要らないな」などと判断してきたわけで。

 料理って、作ってみた後で「自分のレパートリーにするか、しないか」を決めるのも大切だと思うんですよね。

 今、思うと、母がそういう人だったな。小学生の頃に外食させてもらって、「おいしいなあ。うちでも作ってよ」なんていうと「私が作るより、ここで食べたほうがおいしい」と即断。私もゴネたりせず「そういうものか」と納得してましたね。

 母の時代は特に「ひと通りできないと恥ずかしい」といった重たい感覚が「常識」だったかと思うけれど、あのひとは「私はそういうのは、作らない」と突き通してましたね。そういう姿を見られたのは、よかった。「ひと通りできないと」という感覚、今の時代でも感じてしまい罪悪感を抱える人はいるんですが、自分の得意なこと、やっていて苦にならないことを選んでいきませんか。自分の生活なんだもの。

2020.02.13(木)
文・撮影=白央篤司