浅野順子さん。個性的な太い黒縁の眼鏡がよく似合う。 近田春夫&ハルヲフォンは、銀座でのハコバン時代を経て、1975年に「FUNKYダッコ№1」でレコードデビューを果たした。 二人が知り合ったのは、「サリーズ・バー」という店がホテルで開いたパーティーでのこと。チークタイムのダンスを踊ったのがファーストコンタクトで、その時、近田さんは、相手の女性があの浅野忠信の母だとは知る由もなかった。 アトリエの壁には、順子さんの描いたドローイングが飾られている。 愛犬の名はビスケット。順子さんと散歩に出かけるのが大事な日課となっている。 近田春夫&ビブラトーンズ「金曜日の天使」、President BPM「Hoo! Ei! Ho!」、小泉今日子「Fade Out」など、近田さんは、ディスコをモチーフとした名曲の数々を世に放っている。 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) ピーター・マックス『ピーター・マックスの世界』(グラフィック社)。マックスは、1937年生まれのアーティスト。カラフルかつポップなその作品は一世を風靡した。 アーティスト・浅野順子は、絵画のみならず、立体作品にもその才能を発揮する。 浅野順子さん。対談は、彼女が日々創作に励むアトリエで行われた。本棚には、美術書がいっぱい。 ©平松市聖/文藝春秋 順子さんは1950年9月23日生まれ、近田さんは1951年2月25日生まれ。つまり同学年に当たる。©平松市聖/文藝春秋 アトリエには、順子さんの手がけた多種多様なオブジェが所狭しと並ぶ。©平松市聖/文藝春秋 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 アトリエの壁には、次男である浅野忠信の写真も飾られていた。©平松市聖/文藝春秋 米軍が駐留した終戦後の横浜ならではの思い出が、次々と鮮明に蘇る。©平松市聖/文藝春秋 アトリエには大きなサイズの作品も。 ©橋本篤/文藝春秋 順子さんの愛犬、ビスケット。来客が大好きで、取材中はスタッフたちの足元にさかんにじゃれついていた。©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 10代の頃の浅野順子さん(本人提供) 浅野順子さんと近田春夫さん。壁にかかるドローイングは順子さん自身の作品。 ©橋本篤/文藝春秋 一見、ダメージジーンズのように見える順子さんの着ているつなぎだが、破れた穴のように見える部分も、ポケットも、実はすべてプリント。お洒落上級者である。©橋本篤/文藝春秋 父・ウィラードさんがウォレットに忍ばせ、終生その身に携えていた順子さんの写真。©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©橋本篤/文藝春秋 浅野順子さんと近田春夫さん。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さん。 ©平松市聖/文藝春秋 アトリエの壁や天井、家具などは、自分好みに塗り替えている。©橋本篤/文藝春秋 小さな木の椅子は、順子さんによるハンドメイド。©橋本篤/文藝春秋 浅野順子さんが所属していた「クレオパトラ党」メンバーだった山口小夜子さん ©文藝春秋 浅野順子さんが所属していた「クレオパトラ党」メンバーだったキャシー中島さん ©文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©平松市聖/文藝春秋 浅野順子さんのアトリエの様子。 ©平松市聖/文藝春秋