1800年代後半のジャポニスムから現在にいたるまで、古今、世界を刺激する“日本の美”は、日常の中で醸成されてきた。

 空間を仕切る衝立や襖、道具やちり紙にまで宿る美意識は、芸術と用の美を峻別することのない独自の感性によって成り立ってきたのだ。

 時を超え美を継承する職人たちの手業を求めて京都を旅する。

 今春、京都の地に、帝国ホテルが舞い降りた。祇園の象徴だった「弥栄会館」を再生するかたちだ。土地・建築・人の記憶を丸ごと継承せんとする、帝国ホテル 京都の美学を紐解く。


祇園の象徴を再生してホテルに

 明治期日本で迎賓館の役目を担うべく、東京日比谷に帝国ホテルが誕生したのは1890年のこと。1933年の上高地、1996年の大阪を経て2026年、満を持して京都に4つ目の帝国ホテルがお目見えする。

 立地は祇園町の中心地、観光客で賑わう花見小路沿い。地域のランドマークだった弥栄会館を再生するかたちでの開業と相成る。

 1936年竣工の弥栄会館は、お茶屋組合や芸妓組合がお金を出し合い、無借金で建てられた。設計を手がけたのは、劇場建築の名手と謳われた木村得三郎(大林組)。建築家の系譜としては、帝国ホテル2代目本館を設計したフランク・ロイド・ライト、さらにはその師ルイス・サリヴァンの強い影響下にある。

 日本の伝統的意匠を巧みに西洋建築に取り込みつつ、弥栄会館は築かれた。長年祇園を象徴する建築だったが、耐震性不足により近年は使用されずだった。これを何とか再生できないものか。京都市からの声がけで、南西面の壁と一部駆体を残しながらホテルとするプロジェクトが動き出した。

 一帯は歴史的景観保全修景地区ゆえ、新築は高さ12m以下の厳しい制限を受ける。今回のプロジェクトでは、外観意匠継承を条件に、弥栄会館の31.5 mの高さを維持する建築許可が下りた。

 継承の精神は徹底され、外壁のタイルもできる限り再利用が試みられる。一枚ずつ壁から取り外し、モルタルを除去して健全性を確認。結果、全体の1割にあたる約1万6千枚が再び壁面へと戻った。

次のページ 素材の探求からすべては始まる

CREA Traveller 2026年春号
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。