ひらがな“こぐれひでこ”のデビュー秘話

近田 さて、2CVの後、ひでちゃんはどうしてたの?

こぐれ しばらくは有閑マダムをしてました(笑)。

近田 そこから、イラストレーターやエッセイストに転身したきっかけというのは?

こぐれ その頃、徹君がファッション誌「流行通信」で結構仕事をやってて、その打ち合わせのために、編集者がうちまで来る機会が多かったのよ。

近田 「流行通信」、もともとは森英恵の会社から出てたんだよね。

こぐれ その打ち合わせの時、編集者のお腹が空いたんじゃないかと思って、お茶漬けを出したのよ。それが美味しいと評判だったので、いろんなレシピを紹介する連載を始めないかという話になった。

近田 じゃあ、取り立てて自発的に転身したわけじゃなかったのね。

こぐれ ちなみに、その時、家に来ていた「流行通信」編集長の川村容子は、後に文藝春秋に転職し、1989年にスタートしたCREAの創刊メンバーのひとりになりました。残念なことに、数年前に亡くなってしまいましたけど。

近田 その後のひでちゃんは、ずっとこのジャンルで活躍することになるよね。

こぐれ それで、何回も連載してないうちに、単行本を作りましょうっていうことになって、最初に『こぐれひでこのまあるいごはん』という書籍が刊行されました。

近田 ひでちゃんみたいな具合に、イラストとエッセイで構成するレシピ記事って、当時はまだ珍しかったんじゃない?

こぐれ 確かに、あんまりそういう書き手はいなかったかもね。最初は、文章は誰か人に書いてもらえばいいやと思ったんだけど、結局自分で書くことになって。それからは、料理の本のみならず、パリや旅行、ライフスタイルをテーマにして、ずいぶんたくさんの本を出しました。

近田 どの本も、くどいほど書名に「こぐれひでこの」って冠されてるよね(笑)。

こぐれ 『こぐれひでこのやせたいごはん』『こぐれひでこのパリへ行こう』『こぐれひでこのベトナム』……。確かにそうね。

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