「常に自分は間違っている」という前提を持つ
――「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」の受賞記念講演で、「相手を知ることをサボらなければ、誰も世界から消えはしない」「簡潔で断定的な答えは、私たちから考える苦しみを奪い、この世界の複雑さに耐える力を、少しずつ奪っていく」と語られていました。忙しい日々の中では、つい簡単な答えに流されてしまうこともあると思います。そうならないために、心がけていることはありますか?
「常に自分は間違っている」という前提を持つようにしています。100%間違っていると思うのではなく、自分に対して批判的な意見も受け入れるようにするというか。
例えば「文章が下手」と言われたとき、私自身は、本当に文章が下手だとは思っていません。でも、私の文章を下手だと感じる人がいるという事実は意識していたほうがいい。その視点を持つことで、書けるものもある気がするんです。
――批判的な人の存在を認めて、さまざまな視点を持つということでしょうか。
そうですね。「この人は妬んでるだけ。私は最強だからそんなアンチコメント気にしないわ!」という気持ちを持ってしまうと、自分自身もそこで止まってしまう気がするんです。異なる考えを持つ人を見ないようにしたり、違う生物のように扱ったりすることにもつながってしまいかねないので、常にいろんな人の意見が耳に入るようにしています。
――いろんな意見が入ってくると、頭の中が混乱してしまいませんか?
実際はあんまり聞いてないのかも(笑)。
――言われて傷つくことはないんですか?
容姿など、生まれ持ったものに関して何かを言われることに対しては、「私悪くないし」という気持ちがずっとあって。どこか自分を他人事のようにとらえるクセがあるんです。「私のせいではない」という意識が根底にあるから、怒り心頭に発してぶつかるみたいなことはあまりありません。
「あなたの言っていることは間違っています。なぜならそれは世界では差別だと考えられているからです」みたいに上から正論を伝えるのではなく、対等に話して言い合いをすることはあります。言い合っているうちに人と人として会話がつながるときがあるんですよ。人間味が垣間見えるその瞬間を見逃さないようにしたいんです。相手の人間らしさを引っ張り出すためにわざと乱暴な言い方をすることもあります。ストレス発散みたいなところもあるのかもしれませんが(笑)。
私の考える正解に相手が納得してくれるかってあまり大事じゃなくて、向こうの正解を話してくれることに嬉しくなるんですよね。
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伊藤亜和(いとう・あわ)
1996年生まれ、神奈川県出身。文筆家。学習院大学文学部フランス語圏文化学科卒業。2023年、noteに投稿したエッセイ「パパと私」がX(旧Twitter)上で大きな注目を集め、著名人からも高い評価を受ける。同作を含むエッセイ集『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)でデビュー。ラジオパーソナリティやテレビ出演など、文筆業以外でも活動の幅を広げている。第19回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」受賞。

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