神奈川県立近代美術館 葉山で企画展「もはやない国のかつてない光 東ドイツの女性写真家たち」が開催されている。本展は1989年のベルリンの壁崩壊後、翌年の再統一によって消滅した東ドイツの女性写真家にスポットを当てた展覧会だ。“もはやない国”でキャリアを形成し、東西統一以後長く見過ごされてきた彼女たちの作品とは。
社会主義体制で女性写真家が活躍した理由
東ドイツと聞くと、しばしばその国家体制が注目されることが多い。秘密警察とも呼ばれた国家保安省「シュタージ」の徹底的な監視や、国境警備隊による、西ドイツへの亡命を試みる市民の射殺。そして家族や友人間で起きた、膨大な数の密告。聞くだけで震えあがるような生活だが、意外にも国内は「男女同権の社会」であったという。本展を担当した三本松倫代学芸員が、東ドイツの女性たちが置かれた状況を解説する。
「第二次世界大戦によって多くの成人男性を失った東ドイツでは、労働力不足が喫緊の課題でした。さらに男女関係なく“皆が労働者として国を支える”社会主義体制のため、女性の労働参加が積極的に推進され、託児所など就労支援環境は充実していた。ドイツ再統一直前の1980年代末期には、東ドイツの女性の就労率は9割近くになっていたそうです。女性たちは非常に自立していて、それは当時の写真家も例外ではありませんでした」
社会主義国家であるがゆえに生まれた、女性活躍の場。なかでも女性芸術家においては写真家の活動が目覚ましかった。三本松さんによると、そこにも東ドイツならではの背景があるという。
「西ドイツをはじめとする西側諸国では、とりわけ冷戦構造下において、抽象美術の動向が盛んでした。その背景には、東ドイツをはじめとする社会主義諸国で、社会主義リアリズムと呼ばれる芸術動向、つまり“来るべき社会の姿”を人々が理解しやすいように再現的に、具象的に描写することが公式の芸術とされていたから。『東側は具象、西側は抽象』という芸術上の対照的な関係性があったのです。
特に写真という技法は、カメラがとらえた外界がそのまま写し出されるという点で、多くの場合は抽象に向かわない。つまり東ドイツの公式な芸術方針に呼応したメディアであり、他のジャンルに比較して締め付けが緩い状況にありました。
国家が是とする社会主義リアリズムを良しとしないアーティストたちは、西側に移住したり、亡命を余儀なくされました。例えば戦後ドイツで最も有名なアーティストのひとりに画家のゲルハルト・リヒターがいますが、彼は東ドイツのドレスデン出身。社会主義リアリズムに準拠した群像壁画などをドレスデンの美術アカデミーの修了制作として手がけますが、1959年の第2回ドクメンタを見て当時西側で主流となっていた抽象表現主義に接し、東西の往来が禁止される直前に西ドイツに移住したことで知られます」
東西の冷戦構造がもたらした芸術表現
東西の冷戦構造がもたらした具象表現の隆盛を背景に、女性写真家たちは社会主義下の東ドイツで雑誌などの撮影の仕事に従事しながら、写真家としてのキャリア形成、そして自分自身の作品制作へと表現を飛躍させていく。
「東ドイツで社会主義リアリズムが公式化された背景には、一般の人々に分かりやすく国家が理想とする社会像を伝えるという目的がありました。社会主義の国家がたどるべき未来の姿――勤労青年、研究に打ち込む若者、工場労働者たちが家族のようなつながりを持って連帯し、生産性を向上させて国家を支えていく――そういった理想を国民に伝播させるには、具象表現の明快さが重要でした。
本展で紹介する女性写真家たちも、ファッション撮影などと平行して、労働者の働きぶりを伝える工場取材、国家行事の報道、行政機関から委託された撮影なども請け負っていました。一方で、発表の当てがないままに、自らを取り巻く現実を、写された表現から世界を捉えなおすために、私的な作品を制作していったのです」
