日本のミュージカル界を牽引し、いまやジャンルを超えた表現者として進化を続ける井上芳雄さん。最新作『アイ・ラブ・坊っちゃん』では、名作『坊っちゃん』の執筆に奔走する夏目漱石を演じます。

 描かれるのは、まだ漱石が“文豪”と呼ばれる前、創作のままならなさに苛立ち、一人の人間としてもがく姿。井上さんが、“人生の過渡期”を生きる漱石の11日間にどう向き合い、自身の現在地をどう捉えているのか。その想いを伺いました。

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漱石という人物に親近感を持ってもらえたら

――『アイ・ラブ・坊っちゃん』は音楽座のミュージカル。井上さんは以前にも音楽座の作品に出演されています。今回は夏目漱石が描く『坊っちゃん』のお話です。

 元々音楽座のミュージカルのファンだったんです。音楽座に入らないと出演できないと思っていたら、東宝制作でできることになり、そこからは自分では思いもかけない展開で『リトル・プリンス』『シャボン玉とんだ 宇宙(ソラ)までとんだ』と2作品に出演させていただきました。

 『アイ・ラブ・坊っちゃん』はもちろん映像で観て知っていましたし、いい作品だと思っていたのですが、自分に縁があるとは思ってなくて(笑)。もう少し若ければ“坊っちゃん役”だったと思いますが、今回は「漱石で」と言われて、正直「いや、出来るかな……」と。最初お話をいただいたのが2~3年前だったので、余計にピンとこなかったというか。

 でも改めて台本を読んだり、映像を観たりすると自分とそんなにかけ離れた役ではないような気がしてきました。漱石が39歳のときの話なので、何なら僕よりも若いですし(笑)。

――井上さんはモーツァルトやベートーヴェンなど、実在した人物も多く演じられているので、夏目漱石を演じられると伺い、とても自然な流れだと思いました。

 小林多喜二もやったことがあるので、確かに芸術家系の役をいただくことは多いのかもしれません。漱石は誰もが知る文豪で著名な方ですが、『坊っちゃん』を書いていた時期は精神的にもピリピリしている時期だったようで、今回はずっと怒りっぱなしなんです。怒りっぽいとか始終イライラする人物は演じたことがないので、新しいタイプの役柄として挑戦してみたいと思いましたね。

 よく言われるのですが、僕自身があまり気分の上がり下がりが激しくないタイプなので、余計にそう思うのかもしれません。

――すでにお稽古は始まっていますよね。

 はい。ずっと怒っていて、ずっと奥さんにきつく当たっている感じです(笑)。甘えているところもあるんでしょうが、今ではコンプライアンス違反になるんじゃないかと思うような、それこそ言ったことのない「バカ!」とか「間抜け!」みたいな、少しドキドキするくらいの口の悪さで、そういったセリフがたくさん出てきます。

 ただ、実際に漱石が生きていた時代はこういう人はたくさんいたでしょうし、漱石をそうさせてしまった、それまでの人生や裏側にあるものをしっかりと描きたいですね。日本の近代化においてすごく重要な人物が、あんなにただの怒鳴り散らすおじさんだという一面にもギャップや親近感を持ってもらえればと思います。

――確かに、漱石=文豪、というイメージが大部分で、それ以外のことを詳しく知る機会はそんなにない気がします。

 漱石は小説という形を日本に取り入れて、それを人々が楽しめるようにしたという意味で、文学史においてとても重要な人物です。でも、その人があんなに悩み苦しんで当たり散らしていたということが、励みにはならないかもしれないですが、そこに“同じ人間なんだ”という気持ちになるんです。

 江戸時代が終わって、急に近代化と言われ、戦争も始まったという“はざまの時期”を過ごした人ですから、そこに疑問を持ったり、どうやって進んでいけばいいかと悩んだと思います。それは未だに自分たちが抱えているテーマであり、それを最初に抱いた世代だったはずですから、漱石たちが苦しんでいろいろ創り出してくれたおかげで、今があるという目線も持ちつつ、稽古をしていますね。

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