最晩年まで光を追い続けたクロード・モネ。

 オランジュリー、オルセー、そしてマルモッタン・モネ。この3つの美術館には彼の大河のごとき画業が凝縮されている。


大戦終結の翌日生涯の友に託した願い

 チュイルリー公園の一角にあるオランジュリー美術館。そこには晩年のクロード・モネが文字通り心血を注いだ超大作が展示されている。天窓から自然光が入る展示室に足を踏み入れた時、言葉を失う。楕円形の2室にそれぞれ4面ずつ、合計8点の《睡蓮》が壁面を彩っている。モネの庭が永遠の時を刻んでいるようなこの空間には、モネ晩年のドラマが秘められている。

 フランスに未曾有の苦難をもたらした第一次世界大戦の休戦協定が結ばれたのは1918年11月11日のこと。その翌日、モネは時の首相ジョルジュ・クレマンソー宛に手紙をしたためた。

「私は勝利の日に署名したいと考えている2枚の装飾パネルを完成させようとしているところです。あなたを介してこれらを国家に寄贈させていただきたくお願い申し上げる。ささやかですが私が勝利に参加する唯一の方法です」

 稀代の政治家にして、芸術についても造詣が深かったクレマンソーはモネの生涯の友と呼べる存在だった。手紙の数日後、クレマンソーはジヴェルニーのモネを訪ねている。以来、《睡蓮》展示室の構想は2人のプロジェクトとなった。

 寄贈の規模は当初の予定よりも大幅に拡大し、紆余曲折を経て設置場所はオランジュリーと決まる。寄贈行証書にモネが正式に署名したのは1922年のこと。だが、さらに5年の歳月を経た1927年5月になってようやく、モネの究極の仕事は日の目を見た。親友クレマンソーに看取られながら、86歳の彼が永眠した5カ月後のことだった。

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