「すずさんに限らず、あの時代の日本人って…」

片渕 すずさんって、猫背なんですよ。すずさんに限らずあの時代の日本人って、そんなに背筋を伸ばして歩いている人は少なかったんです。

 でも、アニメーションの作画技術は、主にアメリカから入ってきた文化なので、人間の歩き方や佇まいを西洋風にすることがベースになっています。戦前の日本人を描くとき、背筋がすらっと伸びて颯爽と歩く姿を描いたら、それこそファンタジーに見えてしまう。少し猫背で、すり足で歩くすずさんを描くことで、「ほんとうにある世界の片隅」であることを表現しました。

──細やかな“リアル”への視点は、作品全編を通して感じます。

片渕 ありがとうございます。すずさんの日々のある一日は『個性』を持つその日です。「何年何月何日」という日付のラベルだけではなく、時の上に本当にあったその日に近づけようとして、天気はもちろん、気温、雲の出方、風の強さまで、できるだけ再現しようとしました。

 昭和20年5月15日に、すずさんの夫・周作さんは一等法務兵曹に任官し、海兵団での訓練に出かけてゆきます。この日は小雨が降っていたことがわかりました。当時、軍人は傘をささないきまりでした。この場面では、“傘をささずに出かけていく周作”の姿を描くことになりました。

 すずさん自身は架空の人物ですが、彼女が過ごす毎日は嘘の日々にしたくなかった。映画館で、すずさんのとなりで「体験」していただくことになる「毎日」は、そのようなものなのです。

──アニメーションだからこそ、実写では描けない史実に沿った表現ができたのですね。

片渕 戦争は昭和20年8月15日に終わり、その後も彼女の毎日が続くことが語られていますが、そこからずっと続いて今日に至ります。その間にあったことは語ることができるのですが、でもいま僕たちがいるここからは、明日がどんな日なのか知ることができません。僕たちはいま自分たちがいる場所がどこなのか探さなければいけないのかもしれず、本作の再上映が、少しでもその道しるべになればいいなと思っています。

『この世界の片隅に』

8月1日(金)~期間限定上映
 

STORY

1944(昭和19)年2月。18歳のすずは、突然の縁談で軍港の街・呉へとお嫁に行くことになる。新しい家族には、夫・周作、そして周作の両親や義姉・径子、姪・晴美。配給物資がだんだん減っていく中でも、すずはなんとか食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、毎日のくらしを積み重ねていく。

1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの艦載機による空襲にさらされ、すずが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。

そして、昭和20年の夏がやってくる──。
 

STAFF&CAST

監督・脚本:片渕須直/原作:こうの史代『この世界の片隅に』(コアミックス刊)/声の出演:のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世、澁谷天外(特別出演)/日本/2016/129分/配給:東京テアトル/©2019 こうの史代・コアミックス/「この世界の片隅に」製作委員会

2025.08.06(水)
文=週刊文春CINEMAオンライン編集部