すずさんは「一方的な被害者」ではない
片渕 2016年公開当時のビジュアルでは食料として野草を摘み、微笑みかけるすずさんを描きました。彼女が遠い彼方の人ではなく、われわれと何も違わない存在なのだ、というところから映画の中に入っていただくために。
一方、今回2025年のビジュアルは、空襲で甚大な被害を受けたその場にいるすずさんを描いています。彼女は戦争する世の中に寄り添って生きてきてしまった。その結果、様々な大切なものを失い、風景すら失ったすずさんです。その姿を通じて「戦争の中で健気に生きる」ことが正解なのかということを、今一度考えてもらえたらと考えました。

それから、このビジュアルに使った場面で大事なのは、すずさんは決して一方的な「被害者」ではなかった、ということです。
最初の上映から9年を経て、そのように、もう一度すずさんやあの戦争について「なぜ?」と問い直してもらいたいという気持ちをも込めました。
──すずさんが「一方的な被害者」ではなかったというのは?
片渕 確かに、すずさんは、他者に暴力をふるったり、危害を加えたりしたわけではありません。
だけど、すずさんの日常をつぶさに見ていくと、当時植民地支配をしている日本という国に生まれ育った人の生活なんですよね。すずさんは1925年生まれですが、すずさんが生まれる15年も前から日本は朝鮮を植民地としていて、お米や食料を生産させていた。すずさんたちは、そうした食料を、毎日の食卓に上げていたことになります。
すずさんは、家事をするだけの人、まるで人畜無害な人として登場しますが、その家事をするだけで「加害者」でもあってしまった。なんという皮肉でしょう。

──そうお聞きすると、作品の見方が変わりそうです。
片渕 これは、そうした「ずっとつながる毎日の物語」なのです。ああした日々を過ごしたすずさんが、今は100歳になって、今どこかで自分たちとすれ違うかもしれない。戦争なんかよりずっと前から続き、戦時中も、さらに戦争が終わった後もすずさんたちが暮らし続けた毎日。さらにそこから連なる毎日の上に、現代の私たちも生きているのだなあ、と。自分ではそんな感慨を抱きます。みなさんはどうご覧になるでしょうか。
『この世界の片隅に』
8月1日(金)~期間限定上映
STORY
1944(昭和19)年2月。18歳のすずは、突然の縁談で軍港の街・呉へとお嫁に行くことになる。新しい家族には、夫・周作、そして周作の両親や義姉・径子、姪・晴美。配給物資がだんだん減っていく中でも、すずはなんとか食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、毎日のくらしを積み重ねていく。
1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの艦載機による空襲にさらされ、すずが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる──。
STAFF&CAST
監督・脚本:片渕須直/原作:こうの史代『この世界の片隅に』(コアミックス刊)/声の出演:のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世、澁谷天外(特別出演)/日本/2016/129分/配給:東京テアトル/©2019 こうの史代・コアミックス / 「この世界の片隅に」製作委員会
〈「すずさんの毎日を“嘘の日々”にしたくなかった」片渕須直監督が『この世界の片隅に』で追い求めた“80年前の広島”のリアルとは〉へ続く

2025.08.06(水)
文=週刊文春CINEMAオンライン編集部