世界中のあちこちにすずさんたちの存在を感じてほしい
──戦後80年という節目の年を狙って再上映を決めたのではなく、むしろ「戦後80年」は後付けだと?
片渕 いえ、そこはもちろん、「戦後80年」だから機会が与えられた再上映です。まあ、日本では「戦後80年」と昔話として語られますが、例えば、この映画をアメリカの芸術系の大学で上映した時に、アニメーションを勉強しているイラン人の学生から「自分の子ども時代の体験に似ている」と言われて、心に痛みを感じました。
彼は「僕は卒業したら、アメリカでではなく、イランに戻ってそこでアニメーションを作る」といっていたのですが、そのイランにミサイルが降り注ぐさまを映像で見ました。彼はどうしているのでしょう。

遠い時の彼方にいた「80年前のすずさん」をすぐとなりに感じられるように、今現在の地球上の様々な人々のこともすぐとなりに感じられるならいいなあ、と思います。
──映画では残虐なシーンは描かれていませんが、戦争の恐ろしさや悲惨さは強く感じました。
片渕 映画の終末近くで描かれる原爆のガラス片を浴びた肉体は十分に残虐だと思います。そんな痛手を負ってしまう人々も含め、昭和10~20年という時代に生きたすずさんたちは、決して今の私たちと大きく違っていたわけではないのではないか。生活スタイルや服装は変化したかもしれませんが、人の心というのは80年前も今も、それほど変わったわけではないんだと思うんです。そうでありつつなぜ、すずさんたちは、あのような戦争の中に置かれてしまったのか……。
すずさんたちの日常がゆがんでいくのを映画で観ていただき、そこから続けて今の世界で何が起こっているかを見直していただいて、世界中のあちこちにすずさんたちの存在を感じていただけたらと思います。

──ポスターのメインビジュアルは、2016年版と同じコピーを使っていますが、まったく印象の違う絵と色味に仕上げています。
片渕 コピーはどちらも、「昭和20年、広島・呉。わたしは ここで 生きている。」を使っていますが、受け取る意味がだいぶ違って見えるかもしれませんね、添えられている絵が違うと。
2025.08.06(水)
文=週刊文春CINEMAオンライン編集部