「何をしたいか」喜久雄の答えは…

 喜久雄はまた自分が何をしたいかと問われたときに、「景色が見たい」と言っている。こうした発言は、東京ドームをいっぱいにしたアーティストなどからも実際に聞くことである。私はそのとき、単に人がいっぱいいて、ペンライトが輝くその景色が圧巻なのかと思っていたが、『国宝』を見ていると、それだけではないものを感じた。

 きっと、演者が自分の満足できる演技をして、それに魅了された無数の観客の興奮した気持ちが演者にダイレクトに伝わってくるとき、我々には想像もできないような得も言われぬ瞬間があるのだろう。

 喜久雄が映画の最後に舞台から観客を見て、見たかった景色を見たのだと思える表情をした瞬間で映画は終わる。その景色は、桜が舞っているようにも、雪が舞っているようにも見えた。彼の父親が長崎の自宅で亡くなるその景色を思い出させるものもあった。

 しかし、原作の中の綾乃は、父である喜久雄にこのような「祝福」はしないし、人生の苦さがもっと描かれる。

 とすると、映画の結末には少々できすぎたもののように感じられる人がいるのも事実だろう。ただ、それは清々しい気分で映画館を後にできるものでもある。芸に魅せられ取り憑かれた人間の恐ろしさも感じさせながら、それでも前向きになれるような結末が、多くの人を気軽に映画館に向かわせているのも事実ではないだろうか。

2025.06.28(土)
文=西森路代