「そうしたいんですが、でもでも、まだ他社さんの仕事が残っておりまして……!」
そんな私に、編集さんは顔色ひとつ変えずにこう返したのです。
「ああ、大丈夫です。新潮の編集さんとお会いしまして、お互いの状況と阿部さんの執筆具合から鑑み、八咫烏の新作刊行を優先させて構わないと言って頂きましたので」
「あれ~!?」
――どんなに口先で誤魔化しても、編集さん方には私の状況などとっくの昔にばれていたということです。
ぶっちゃけて言うと、待って頂くことになった新潮さんには非常に申し訳なかったのですが、「良い作品にするためならいくらでも待てますから!」と優しく言って頂き、本当に本当に助かりました……。命拾いした、みたいな感覚です。
根気強く待って頂いたおかげで、想定していた刊行時期よりもだいぶ遅くなってしまいましたが、納得のいく形で『皇后の碧』を世に出すことが叶いました。

かつて文春さんは、割と早くにデビューすることになった私がスケジュール過多で潰れてしまうことを懸念して、「大学卒業まではウチが間に入ります」と言ってマネジメントをしてくれていた過去があります。「それって囲い込みでは?」と言われることもありましたが、私としては守ってもらったという実感が強くあります。
そして約束通り、大学卒業時には、それまで私に対して共に仕事がしたいと声をかけてくれたもののストップをかけてしまった方々に対し、担当さんからの丁寧な一筆を添えて、最新のゲラを送って下さったのです。
内容としては、「これまでは我々が間に入っていましたが、新人賞を運営し、新人作家を育てる立場にある者として、阿部智里という作家にはこれから出来る限り色々な会社と仕事をして欲しいと思っています。どうぞよろしくお願いします」と、そんな感じでした。
デビュー当時、私に対して「一緒に仕事をしませんか」と声をかけてくれ、この一筆を受けてようやくお会いすることになったのが、『皇后の碧』を担当して下さった新潮社の編集さんです。そしてこの編集さんと裏で手を組み、八咫烏シリーズと両立するようにスケジュールを立て、「せっかくなら羽休みで告知しましょうよ!」と今回このコラムを書かせて下さったのが、当時一筆書いて下さった文春の編集さんなのです。
2025.06.04(水)