この記事の連載

「ありのままのあなたでいれば」に苦しむ人がいるということ

 愛することを拒絶するフンスと、愛されることを渇望するジェヒ。ふたりは互いの性格や恋愛観の違いを楽しんでいるが、それはときに大きな断絶をもたらす。何を噂されようと気にしないジェヒには、なぜフンスがこれほど人の目を気にするのか理解できない。奔放な女だ、いろんな男と寝る女だと中傷されようと、毎日堂々と大学に通っていた彼女は、「ありのままのあなたでいればいいのに」とあっけらかんと言い放つ。けれどそう言えるのは、ゲイであるというフンスのアイデンティティが、この社会でどのように見られ、扱われるのかを知らないからだ。自分の性的指向を家族に受け入れてもらえず、ときには理不尽な暴力を受けることを、自らカミングアウトするのと他人によってアウティングされるのは全く別の問題であることを、ジェヒは知らない。ありのままのあなたでいればいい。その言葉が持つ意味は、ジェヒとフンスとではまったく違うのだ。

 同様に、フンスはジェヒの苦しさを同じ立場で共有できない。両者ともいろんな相手と気軽にセックスを楽しんでいるように見えるが、妊娠の可能性という点では、女性の身体は男性よりずっと大きな負担を強いられる。性犯罪や性暴力に遭う確率の高さも、社会のなかで女性が受ける差別も、彼は知らない。

 卒業。軍への入隊。留学。就職。年齢を重ねるにつれ社会の抑圧はますます強まり、ソウルの夜のクラブで酔っ払いぴょんぴょんと飛び跳ねていたジェヒとフンスの間には、ますます共有できないものが増えていく。他人と同じになれないことで意気投合したはずの彼らが、気づけば、自分とは違うという理由で相手を非難し合うようになる様が悲しい。一緒にひとつの画面を占有していた彼らは、いつしか別々の場所に立たざるを得なくなるのだ。

 クラブで飛び跳ね、街を駆け回っていた20代の彼らはもういない。でもふたりはもう一度走り出す。誰かと一緒に立つことを、フンスとジェヒは諦めない。ずっと同じではいられなくても、一緒に食べたブルーベリーの味は忘れない。いくつもの時間を経て、再び彼らが並んで立つ姿を見た瞬間、思わず涙がこみあげた。

『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』

6月13日(金)より全国ロードショー
原作:小説『大都会の愛し方』 より「ジェヒ」(パク・サンヨン著、オ・ヨンア訳/亜紀書房)
監督:イ・オニ
出演:キム・ゴウン、ノ・サンヒョン
提供:KDDI
配給:日活/KDDI
© 2024 PLUS M ENTERTAINMENT AND SHOWBOX CORP. ALL RIGHTS RESERVED.
https://loveinthebigcity.jp/

← この連載をはじめから読む

Column

映画とわたしの「生き方」

日々激変する世界のなかで、わたしたちは今、どう生きていくのか。どんな生き方がありうるのか。映画ライターの月永理絵さんが、毎月公開される新作映画を通じて、さまざまに変化していく、わたしたちの「生き方」を見つめていきます。

2025.05.31(土)
文=月永理絵