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「LAZARUS」の意味

――『LAZARUS』は、デヴィッド・ボウイが自身の終活を意識して作られた作品と観る人もいれば、聖書に出てくるラザロ(※キリストにより死から復活したとされる人物)になぞらえ、奇跡の復活を望むミュージカルだと観る人もいます。松岡さんは、どう思われますか?

松岡 人は誰しも、お金や年齢、今までどれだけの偉業を成したかといったことにとらわれがちですが、神様から命をもらった人はみな、この世の中に存在する価値や幸せを持って生まれたはずです。

 仮に現世が幸せな人生ではなかった人には、今世とは違うステージに幸せが用意されている。それは、現実社会で言うと、もしかしたら宇宙とか、死後の世界みたいなものなのかもしれませんが、でも確実に僕らの魂は、いろんなところで喜びを感じられる、永遠の幸せの中に存在している――。それをデヴィッド・ボウイはこの『LAZARUS』で描きたかったのではないかと思っています。

 人はいつか塵になって、空気や水、土に還っていくわけです。若い頃はその「いつか」は遠い日の話でしたが、50歳を超えて、諸先輩方やまわりの方々が他界されるのを間近で見て、それは寂しいことではあるけど悲しいことではないのではないかと、思うようになりました。

 「どうせ人は死ぬ」と思うことも、「どうせ死ぬから何をやってもしょうがない」ではなく、「どうせ死ぬんだったら、もっといろんなことをしたい」というモチベーションにもなっている。だから、「もっとやりたいことがある。もっと見たい景色がある」といつも思っているのかもしれません。

――その考え方のベースにあるのは、デヴィッド・ボウイへの憧憬なのでしょうか。

松岡 どうでしょう。まだこれから稽古を重ねていく段階で、今はまだ雲をつかむような感じですが、デヴィッド・ボウイが言っている「宇宙」や「もう一つの世界」、そして、そこへと導いてくれる存在が何なのかを、僕もこのミュージカルで知りたいと思っています。

 そもそも、なぜニュートンが“宇宙人”でなければいけなかったのか、本当の理由も、あの当時デヴィッド・ボウイがどう考えていたかも、わかりません。でも「ジギー・スターダスト」からスタートしている、「この世のものではない」「この地球のものではない」という発想は、僕にとっては“常識”を打ち砕くところから生まれる、新しい人生のステージのように思えるんです。

 亡くなる寸前、「これだけは残しておきたい」と『LAZARUS』に遺したのは、何だったのか。有名になりたいとか、お金持ちになりたいとか、みんなに慕われたいとかそういうことじゃなくて、人生にはもっと違うステージがあるんじゃないの? という彼がこの作品に隠した問いに、どこまで答えることができるのか。

 僕にとってもすごく楽しみな作品です。決して難しい風に考えずに、みなさんもぜひ、観に来てください。

ミュージカル『LAZARUS』

https://lazarus-stage.jp/

 

[主演]松岡 充
[音楽]デヴィッド・ボウイ
[脚本]デヴィッド・ボウイ & エンダ・ウォルシュ
[演出]白井 晃 [翻訳]小宮山智津子 [音楽監督]益田トッシュ
2025年5月31日(土)~6月14日(土)KAAT神奈川芸術劇場〈ホール〉
2025年6月28日(土)~29日(日)フェスティバルホール

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2025.05.04(日)
文=相澤洋美
写真=鈴木七絵