見えないからこそ目を凝らしていた
――今年デビューから30年を迎える松岡さん。憧れだったデヴィッド・ボウイの作品で主演を務めるご自分を、どうご覧になっていますか?
松岡 僕らのデビュー前の時代は、見えないから憧れたものがたくさんあったと思います。見えないからこそちゃんと目を凝らし、「来たら逃さないぞ」という臨戦態勢であらゆるものに挑んでいた。
それが今は、情報が溢れすぎて、見えすぎてしまう。わからないことがあってもスマホですぐ検索できてしまうので、それが逆に本質を見えにくくしているように感じています。
だから僕は5年くらい前から、音楽に対しても、ステージに対しても、演劇作品にしても、あえて「見すぎる」のをやめようと決めました。
コロナ禍で、エンタメや芸術が立ち止まるのを目の当たりにして、世の中は決して答えがわかることばかりじゃないと思いました。「いろんな人の意見を聞いて、平和的に」なんて考えが、そもそも「くそくらえ」だし、もうそんなことを言っている時間はない、と気がついたのです。
自分の足で立っている感覚や、声に出して苦しい感覚を味わおう、「見えない未来のいつかのために頑張る」じゃなくて、「今やりたいことをやる」、と決めたら、『LAZARUS』のオファーが来た。これはすごいタイミングだったなと思っています。

――座長としての意気込みはいかがですか?
松岡 気負う部分はないです。今までは共演者の方の不安やプレッシャーを僕が一緒に背負おうと思うタイプだったんですね。なかなかうまく表現できない共演者がいた場合は、「もし僕が彼だったらどうするか」ということを考え、寄り添ってあげることが座長の役割だと思ってやってきました。
でも、僕が全部処置・対応ができるわけではないですし、もちろん僕が完璧なわけでもありません。しかも今回は、僕が稽古期間中に全国ツアーを回っていて、稽古時間が取れず、みんなに迷惑をかける立場です。
だから共演者の方々に助けてもらうという感覚でやっていこう、と肩の力を抜いています。でも、妥協は一切しません。
――なかなか厳しい稽古になりそうですね。
松岡 そうですね。僕はずっと、自分は生業として音楽の世界で生きるアーティストで、作品を創ってツアーに回ることを主体にしているライブアーティストであり、その要素の一部として、「俳優」「役者」という活動があるという感覚がありました。
もちろん、そこで自分ができる限りのことを精一杯やってきたつもりではありますが、「俳優」「役者」という仕事については、実は外様感がずっとありました。でもその活動が15年を過ぎたぐらいのときに、「いや、もう15年やっていて、外様はねえだろう」と気づきまして(笑)。もう逃げるのはやめよう、と考えを変えました。
仮に僕がまだ20〜30代だったら、「いつかのために頑張ろう」みたいな感じでもよかったかもしれません。新型コロナ禍のような予想を超えたことも起こる時代に、50歳を過ぎた自分が、「いつかのために」「何かのために」とか言っている場合ではないのではないか、いつかじゃなく今頑張れ、と自然と思うようになったんですね。
そんな心境の変化を見透かすように、斜め上ぐらいから『LAZARUS』のお話がやってきたのは、やっぱりどう考えても運命だと思います。
2025.05.04(日)
文=相澤洋美
写真=鈴木七絵