映画を見て、幸せな気持ちに
――原作小説は、俊樹とフミ子という兄妹の子供時代を、俊樹が回想する形で描かれています。一方映画は、原作では描かれていない二人の大人になってからの姿を主軸に物語が進んでいきます。朱川さんはその点についてどのようにご覧になりましたか?
朱川 僕は映画になったときに「あの原作をこんなふうにしてくださったんだ」と思えるほうが楽しいんですよね。今回は原作のシーンはまるまる入ったうえで、その先の二人がどんなふうになったかを広げてくださっている。それが僕が納得できるものだったので一つの文句もありませんでした。

前田 17年前くらいからこの作品は映画にしたいとずっと思っていたんです。本当に忘れられない、凝縮された物語だったので。でもやっぱり子供だけのお話だとメジャーな映画にするのが難しいというところがあって。僕が人生で初めて書いたシナリオも小学生二人のお話だったんですが、映画化できなかったんです。そういう経験があったので今回どうやって形にしようかとずっと考えていました。原作の最後の3行にフミ子が結婚することになって兄として肩の荷が降りたと書かれてます。子供時代からそこにたどり着くまでには間がある。だからそこを想像して作っていこうと思ったんです。
朱川 原作を書いたときに「フミ子、ごめんな」という気持ちがあったんですよ。ちょっと我慢させるような終わらせ方だったから、かわいそうだったなって。だからフミ子のその後の姿を見せてくれて、こちらも幸せな気持ちになりました。
――お二人とも子供を主人公にした物語がお好きなようですが、なぜですか?
朱川 子供って、さすがに人生を始めたばかりなだけあって、いろんなものが琴線に触れる。大人にとっては大したことじゃないことも、子供だったら面白かったり怖かったりするわけじゃないですか。あのときの感覚はもう戻ってこないけど、だからこそやっぱり子供の感覚って好きなんですよね。
前田 初めて世界と触れていくっていう感覚ですよね。フラットであり、ある意味残酷である。むき出しで、無垢。初めての出会いを通して子供たちの世界が広がっていく感じが、僕はすごく映画的だなと思っているんですよね。未だに戻りたいですもん、子供に。

朱川 僕もですよ。あの頃の感覚に戻って、70年の大阪万博とか行ってみたい。
前田 今も膝カックンとか仕掛けたくなるもん(笑)。肩ポンポンして頬っぺたに指をきゅって刺すやつとか。
朱川 わかります(笑)。
2025.04.28(月)
文=第二文藝部