「未名が何を見たか。それは彼女にもわからないのかもしれない」

――橋本さんが演じた未名は、原作では名前も登場しないキャラクターなんですね。
橋本 ドラマでもセリフはほぼないので、佇まいだけでいろんな言葉や思いが伝わるように努めました。
役作りでは、村上春樹さんの原作と、エッセイ『辺境・近況』を読み込みました。
エッセイは阪神・淡路大震災から2年経った神戸の街を村上さん自身が歩いたときのことを綴っています。その中でバーベキューに興じる家族連れを見かけるんですけど、「平和な風景の中には、暴力の残響のようなものが否定しがたくある」「その暴力性の一部は僕らの足下に潜んでいるし、べつの一部は僕ら自身の内側に潜んでいる。ひとつは、もうひとつのメタファーでもある。あるいはそれらは互いに交換可能なものである。彼らは同じ夢を見る一対の獣のように、そこに眠っているのだ」と書かれています。きっと、私の演じた未名は、地震という暴力によって、自身に潜む暴力も目覚めてしまったのではないかと思うんです。
――自身に潜む暴力、ですか?

橋本 そうです。原作で未名はテレビを見続ける描写がありますけど、本当は何を見ていたのかわかりません。「テレビの前で過ごした」「テレビの前から離れなかった」と書かれていて、「テレビを見ている」とは一度も出てこない。本当は何を見たのか、彼女自身もわかっていないのかもしれません。だからこそ、小村を混乱させる存在になり得たのでしょう。私自身も1つの答えを持たずに演じました。
大地震が起きた直後は現実なのかどうか、認知するまでに時間がかかりますよね。現実だと理解しても、意識と体が追い付かない。東日本大震災が起きた時、私は中学校の卒業式帰りでテレビから現場の様子を知ったんですけど、現実のこととは思えませんでした。表現は難しいのですが……まるでドラマを見ているようで……。私が演じた未名にも、そういう感覚が渦巻いていたんじゃないかなと思っています。
――地震の映像を見てどんな心情になるか、橋本さんご自身が丁寧に追ったんですね。
橋本 当時の息遣いをつかむため、阪神・淡路大震災の映像をいくつも見ました。気がついたのは、恐ろしいことに見慣れた映像だということです。

ずっと見続けていると、自分がその場にいる気がしてくるんです。私は地元・熊本で起きた地震を思い出しました。『辺境・近境』で「建物が倒壊した空き地が、まるで歯が抜けたあとのようにぽつぽつと点在し」と書かれているんですが、熊本地震から数カ月後に帰省した時に見た光景と重なるものがありました。意識と体の分離というか、別離みたいなものを感じて、その痛みは地震というテーマに触れた際にどうしても存在するのだなと思いました。
2025.04.03(木)
文=ゆきどっぐ
撮影=松本輝一