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俺の小説は壮大な「しくじり先生」

上坂 アザケイさんの過去のインタビュー記事で、「本の中で嫌なことをいっぱい書いて、若者に『こうはなるなよ』って言いたいです」みたいなことをおっしゃってましたが、それって今は変わりました?

アザケイ  変わってないです。俺の小説って壮大な「しくじり先生」なんです。社会人になって気づいたんですけど、人間ってみんなマッチョぶるんですよね。そういう行為、そういう傾向のことを、日経新聞の人気コーナーになぞらえて「私の履歴書」って呼んでるんですけど、失敗したことすらも勲章にしようとする。「こんな偉そうに生きてる人間にも、勲章にすらならないようなダセえ過去があるんだよ」っていうことを誰かが突きつけないと、社会が清らかになりすぎちゃうし、そうなるとしんどくなる人もいると思うんです。

上坂 思想的にはかなり共感します。フィクションでも現実でも、綺麗事すぎることを言われると、「あ、現実を知らないな」って。嫌いというか、がっかりしますよね。

坂元裕二作品かと思いました

上坂 正直に聞きたいのが、アザケイさん、これ(『ちきゅほし』)はどうですか? 気取ってます? まだいける?

アザケイ まだいける。

上坂 え、これでもちょっと綺麗すぎます?

アザケイ これでもまだ綺麗だなと思いました。上坂さんの人生って、傷にまみれつつもエピソードが素敵なんですよ。坂元裕二作品かと思いましたもん。特にこれ(表題作「愛はある/ないの二つに分けられず地球と書いて〈ほし〉って読むな」の締めの一文「お父さん、友達も恋愛もタバコもいいものだったけど、パチンコだけは、全然面白くなかったよ。」)は、傷付きつつも人間としての最後の一線は守ったよ、というバランス感覚が、もはやフィクションかと思うくらいに綺麗すぎて感動したんです。“綺麗すぎオブ・ザ・イヤー”です。

上坂 綺麗すぎて嫌でした?

アザケイ 生々しい傷を描きたい、という派閥にいる人間なので、最初に読んだ時は「もっといけるやろ!」と思いました。特に、被害者の側として描かれることの多い上坂さんの”加害者性”をもっと見たかった。100:0で被害者、ってこともリアルじゃないだろうし、むしろ被害者の側でいることの多い人がどんな加害を振るうのか、すごく興味があった。

 でも、改めて読み返してみると、もし著者自身の“加害者”感がもっと強かったら、情報がキツすぎて読めなかったと思うんですよね。ただでさえしんどい話が多いのに、更にしんどい情報が載っかると心のカロリーが超過しちゃうというか。その点、上坂さん自身もちゃんと傷ついたり悩んだりしていて、完全な加害者になる瞬間は実は少ない。僕らの作品って、淡々と書かれてはいるけど、基本的には結構やばくて息苦しさがあるから、度を越すと読者は読めないんですよ。だからこのくらいが最高のバランスだったんだと思います。

上坂 あ、そういうことか。でも確かに、もっと自分の加害者性に着目した作品もいつか書きたいですね。じゃあ“綺麗すぎオブ・ザ・イヤー”だけど、本としてはこれで良かったっていうことですかね。

アザケイ そうです。生々しいしんどさがありつつも単なる不幸自慢でもない、しんどいけどちゃんと読める、という点で奇跡の文芸バランスだと思いました。

 そういえば今、「“傷ついた人”文芸」っていうジャンルがあるんです。タワマン文学的なストーリーだと、例えば、地方出身の女性が家父長制や女性蔑視に苦しめられた末に罪を犯して、「私は不幸ですか?」と問いかけて終わる、みたいな。徹底して”可哀想”な人を登場させることで、あらゆる批判を封じて強制的に共感させるような。これが結構流行っていて、実際売れるそうなんですよ。でも、読むと心の体力が持っていかれすぎるし、もはや“可哀想バトル”っていう違うバトルになっちゃってる気がするから、俺はあんまり好きじゃないんですよね。

良きエッセイとは何か?

――上坂さんは、執筆にあたって改めてご家族に取材をされています。実際には本には書いていない、もっとハードなこともあったそうですが、最終的に何を書くか/書かないかの基準はどこにあったのでしょうか?

上坂 “可哀想バトル”には絶対参加したくないんですよね。私の美学としてダサいって思ってしまうし、絶対に同情されたくないって思いながら書いていました。「これは書かない方がいいかな」という判断をしたというより、「別にこれ書いてもつまんねえな」と思って書いていないことはいっぱいありますね。

アザケイ エッセイに100%の事実を書いてる人って結構少ないと思うんですよ。俺もエッセイに明るく嘘を書くタイプなんですけど、人間が本当に100%本当のことを書けるかっていうと、多分書けないんですよね。

 「何を書いたか」ということよりもむしろ、「何を書かなかったか」こそがエッセイの本質じゃないかと。書き物としての誠実さって、嘘をつかないことだけじゃない。上坂さんは、「書かない」方の誠実さに舵を切った人なんだなと思って、それが格好良かったです。

上坂 正直に言うと、私、18歳以前の記憶があんまりないんです。辛すぎたからなのかな。だから姉や母に取材して、あの時どうだったか聞いて、記憶の断片をつなぎ合わせて、半ばフィクションで作ってるパートも結構あるので、後味がある程度整えられている。そういう意味では作り手の意思が介在したものになっているかも。

アザケイ 読んでいて、エッセイより小説に近いような感覚がずっとあったんですよ。ようやくそれで理解できました。

上坂 小説は書いたことも、書けたこともないので不思議です。

アザケイ これですよ、小説って。

上坂 アザケイさんがそう言うなら(笑)

アザケイ 多分ですけど。俺も小説のことは、一生何もわかんないですけどね。

上坂あゆ美(うえさか・あゆみ)

1991年、静岡県生まれ。2022年に第一歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)でデビュー。Podcast番組『私より先に丁寧に暮らすな』パーソナリティ。短歌のみならずエッセイ、ラジオ、演劇など幅広く活動。


麻布競馬場(あざぶけいばじょう)

1991年生まれ。慶應義塾大学卒。2021年からTwitterに投稿していた小説が「タワマン文学」として話題になる。2022年、ショートストーリー集『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』でデビュー。『令和元年の人生ゲーム』が第171回直木賞候補作に。

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2025.03.28(金)
文=ライフスタイル出版部
撮影=佐藤 亘