「家族とはいえ他人だからね」

――他人の言葉や反応で、自分でも気付いていなかった自分に気付くことは多いですよね。『大なり小なり』で印象的なのが、小田さんのおじいちゃんが亡くなったときのエピソード。遺体は献体してお葬式もしないし、お墓もいらないという遺言を残したおじいちゃんの話をしながら、小田さんはあえてドライに「まぁ大原さんには関係ない話だったね」と笑ってみせる。そんな小田さんに大原さんは「そんな……関係ないだなんて……」と傷ついた表情を浮かべる。それを見て、小田さんは実は自分もおじいちゃんの遺言に傷付いていたことに気付きます。
これも完全に私自身の話で、「遺体は献体に出してお葬式もお墓もいらない」というのは、うちの母親の口ぐせだと思ってたんですが、実はおじいちゃんから受け継がれたもので、自分もそれを受け継いでいたことに気付いてゾッとしました。自分の言葉だと思っていたものが実は親から言われていた言葉だと気付くような瞬間って、誰しもあると思うんですが、めちゃくちゃ怖いですよね。

――呪いみたいな、怖すぎる家族あるあるですね。
私は昔から母に「家族とはいえ他人だからね」と口酸っぱく言われてきたので、自分は自分、他人は他人みたいなドライな考え方が身に付いていたんです。それが自分の良さでもあると思っていたけれど、同居人の「そんな……」という言葉に、そういう自分の言動が誰かを傷付けたり、自分自身も傷付けていたんだと気付いた。
――何事もいい面と悪い面があって、そういう自分の性質みたいなものは変えた方がいいとも思いませんが、そんな自分に気付くことは大事ですよね。
ちゃんと気付いて、悪い方に転ばないようにすることは大事ですよね。このシーンではドライな家族に疑問を感じながらも何もアクションを起こさなかった自分への後悔も含めて、小田さんと大原さんに喋ってもらいました。
その人を形成している「地層」を掘っていく

――小田さんが大原さんの実家に遊びにいくエピソードでは、大原さんの家族や地元の友達を通して、小田さんが大原さんとさらに関係を深める様子が描かれます。相互理解のためにはバックボーンを知ることも大事ですよね。
その人を形成するものって、家族とか歴代の付き合ってきた彼氏とか友達とか、いろいろありますよね。一人の人間の奥に潜んでいる、その人を形成している「地層」みたいなものを会話しながら掘りあっていくことは、それ自体すごく楽しいことで。アクションとしてはリビングでじっとしているだけですが、静かに興奮する感じが漫画で描けたかなと思います。
――漫画ならではの表現で言えば、大原さんが「そんなこと言わないで」というときの何とも言えない表情は刺さりました。
大原さんが傷付いてしゅんとしてる表情とか、小田さんが無理して笑ってる顔とか、言葉ではなかなか表現できないですよね。会話シーンは自分が言葉にできなかったことを言葉にしたくて、どうしても台詞が多くなってしまいましたが、せっかく漫画なんだから絵で見せられる部分は見せたいと思って。
小田さんが手に持ったグラスをクローズアップして描いたコマは、絵的に出したかったのもありますが、グラスの中の歪みや水滴で人の心情を表すこともできるんだ! って描きながら驚きました。
2025.03.22(土)
文=井口啓子
撮影=佐藤 亘