原 夫の父は、「彼女が病気だからといって、お前の気持ちは何か変わるのか?」と尋ねたそうです。夫が「自分の気持ちは変わらないし、親父たちは反対するかもしれないけど彼女と結婚する」と言うと、「お前が男として決めたことなら、それを貫け。千晶さんを絶対に裏切るなよ」と言ってくれたと聞きました。私は夫からその話を聞いた時あまりに衝撃を受けて、獣みたいに大声をあげて泣いてしまいました。夫のご両親が、私を家族として受け入れてくださったことが、本当にありがたかったです。
抗がん剤治療を終えて一時退院した後、お盆の時期に初めてご挨拶に行きました。まだ髪が生えていなかったので、ウィッグを着けてましたね。ご両親は「お顔を見られて本当によかった」とすごく喜んでくださり、その約2ヶ月後に入籍しました。
「子供のいない人生に巻き込んでしまった」
――全てを受け入れた旦那様はすごい方ですね。
原 彼も辛かったと思うのですが、涙を見せることはほとんどなく、仕事の都合が合えばいつも病院に付き添ってくれました。病院は長時間かかるので、「お腹が空くだろうから」とおにぎりを作ってくれました。ある朝、私が起きたら台所に彼が作ったおにぎりが5つくらい並んでいて、それを見てボロボロと涙が出てしまいました。その時に一度だけ、2人で一緒に声をあげて泣きましたね。「怖い、怖い、病院に行きたくない」という私の弱音を、黙って受け止めてくれました。そんな夫に嘘をついて、検査に行かず悲しませることになってしまった自分を呪いましたね。
――妊娠・出産が望めないことについては、かなり悩まれたのでしょうか。
原 「夫に子供ができない人生を歩ませることになってしまった」とすごく悩みました。夫の姓を継ぐことができないことも申し訳なくて…。とくに、抗がん剤治療が辛く精神的に病んでいた時期は、寝ても覚めても「自分には子宮がない、子供は産めないんだ」と真っ暗な気持ちになっていました。
ベビーカーを押すママを見たり、コメンテーターのお仕事で出産のニュースを笑顔で祝福しなければならなかった時は、落ち込みましたね。グジグジ悩んで、「子供のいない生き方」をネットで検索したり、沢山本を読んだりしながら、45歳くらいの頃にやっと長いトンネルを抜けることができたと思います。
また、つい最近のことなのですが、夫の姉が手紙をくれたことも1つのターニングポイントになりました。
――お姉様は、なぜ手紙をくれたのでしょうか。
2025.02.13(木)
文=都田ミツコ