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実体験や見聞きしたことをもとに描いています

――物語の冒頭では、生活保護課の職員が机の上に乱暴に足を投げ出すシーンにドキッとします。作中に登場するエピソードには実体験なども含まれているのでしょうか?

 私はどの作品においても、マンガを描くために取材をするということがなくて、自分や身近な人が経験したり、見聞きしたりしたことをもとに描いています。

 このシーンは私自身が体験したことではないのですが、ある福祉課の職員が机に足を乗せたことも、「人間じゃねぇ」と言い放ったことも、本当にあったことです。他にも、たくさんのリアルなエピソードがちりばめられています。雪国から上京してスーパーで働いていた、というのも私自身の経験ですね。

――スーパーのポップをきっかけに漫画家を目指したというのも、リアルエピソードですか?

 はい。絵を描くことは子どもの頃から好きでした。かといって初めから漫画家になりたかったわけではなかったんです。

――子ども時代の新田さんは、どんな風に過ごしていたんでしょう?

 父が絵を描いていたので、貧しいながらも実家には本がたくさんあって、本をよく読んでいましたね。小学6年生のときに、先に家を出ていた兄がビデオデッキと一緒に、『バートン・フィンク』や『ガープの世界』のビデオテープを持ってきてくれたことがありました。それを観て「自分はこういう作品が好きだ」と感じたことを今でもハッキリ覚えています。

 言葉にすることができない人間の「おかしさ」や「虚しさ」、「寂しさ」を描きたい、と思ったんですね。どうしてそんな感情を選んだのかは自分でもわかりませんが、「惨めな人」に共感しやすい状況だったのかもしれません。そんなこともあって物語を作ることに興味を持つようになり、初めは小説家か映画監督になるつもりだったのですが、結果として漫画家になりました(笑)。

――個人的な感想ですが、カイロとムーさんが出会えて本当に良かったと思いました。

 ありがとうございます。読者の方からも「2人には幸せになってほしい」という感想をいただくのですが、1話目から2人は一緒に住んでいるし、別れる兆しもなく、むしろ“不幸になりそうな香り”がなくてもの足りないんじゃないかと思っていたので、嬉しいです(笑)。

――もうひとつ、朝、「行ってきます」と言って家を出たムーさんの足元が真っ黒な影に引きずり込まれそうになっているのを見て、もしかしたら私のパートナーも何か心に抱えているのかもしれない、とハッとさせられました。育ってきた環境などに違いはあっても、共感する人は多いのではと思います。

 そうですね。とくに、加害性をテーマにした8話目を描いていたときは、映画『ジョーカー』が好きな方なら、この感覚をわかってくれるかもしれない、と思っていました。主人公の境遇に同情するとかではなく、誰にでも起こり得ることというか……私自身もあの作品は凄く刺さる部分があって。

――確かに、同じ行動に出るかどうかは別として、彼が“ジョーカー”になるまでの感情の流れには共感できるものがあるかもしれません。とても対照的なカイロとムーさんですが、新田さんが2人に共感する部分はありますか?

 カイロの、自分が思ったことを悪気なくパッと言ってしまうところは、私自身がよくやってしまうことです。ムーさんには共感するというよりも、学ぶことが多いですね。繊細な人の中には、何かあっても「もういいよ」と心を閉ざしてしまう方も多いと思うのですが、ムーさんのモデルは「自分はこういうことをされると傷つく」と言葉にしてくれるので、「寄り添う」ことの大切さ、難しさに気づかせてもらっています。

 ――まだまだ始まったばかりですが、この先2人がどうなっていくのか気になります。

 自分でも正直、この先がどうなるのかわかっていないんです。今までの連載も、3、4話目くらいまでは展開を考えているのですが、それ以降になるとキャラクターが走り出す現象が起きていて。毎話毎話、「今回はこれだ!」と思ったものを描いているような感覚です。

» インタビュー【後篇】に続く

新田 章(にった・あきら)

青森県出身。2008年「マンガ・エロティクス・エフ」(太田出版)にて読み切り短編『くすりをたくさん』でデビュー。著書に、『このマンガがすごい!2015』(宝島社)「オトコ編」にランクインした『あそびあい』(全3巻・講談社)、TVドラマ化もされた累計100万部突破作品『恋のツキ』(全7巻・講談社)、『パラダイス 新田章作品集』(全1巻・KADOKAWA)などがある。現在「SHURO」で『若草同盟』を連載中。

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次の話を読む「ふつうじゃない」と言われ続けた『恋のツキ』『若草同盟』の作者・新田 章が作品を通して伝えたい「人間の本質」とは?

2025.02.05(水)
文=河西みのり
写真=深野未季