「輪島の職人さんたちは、自宅や仕事場が全壊して、いまだに道具や材料が充分に揃っていない人もいます。地元から選ばれた工芸会の役員として、『あの作家さんは、いま金沢の親戚を頼って避難していますよ』などと報告するのも大切な役目です。5月くらいまでは毎週のように東京に行っていましたから、妻からは『自分の身体のことも心配したらどう?』と言われるほどでした」

 地震後は金沢市のマンションから週に1回、自宅の片づけのために輪島を訪れていた山岸氏。地元住民との交流は励みにもなった。毎朝、散歩の途中に立ち寄っていた自宅近くのカフェを訪れた時のことだ。知り合いが店にやってくるたびに「大丈夫か?」と労りの言葉をかけあい、笑顔を見せる。自宅近くの仮設住宅が立ち並ぶ一画の飲食店を訪れた際も、顔なじみの店主と長く談笑していた。

「知り合いが精いっぱい頑張っている姿を見ると、勇気づけられますね。ただ、お世話になった両親や師匠、先輩の職人さんたちのことを考えると、いま輪島を離れていることは、後ろ髪を引かれる思いがある。なかなか複雑な心境です」

本記事全文は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

全文では、山岸氏が若者が漆を学ぶ環境を作るために尽力する姿、また復興のための政権への提言などを知ることができます。さらに、山岸氏の能登や輪島塗に対する思いは、以下の記事でも読むことができます。

「山岸一男『輪島塗は災害に負けない』」〈日本の顔 インタビュー〉

「日本の顔 山岸一男」

2024.11.25(月)
文=「文藝春秋」編集部