「そこの十字路をまっすぐ進むと私の家です」

 山岸氏はそう言って道案内してくれたが、道路は大きく隆起し、車が通ることはできない。一本手前の道を曲がり、自宅前に車を止めると惨状が広がっていた。隣の家は全壊しており、無数の瓦礫が駐車場に停めた軽自動車を押し潰している。テレビでよく目にした市内中心部にある7階建てのビルも、基礎部分から横倒しになったまま(上の写真)。被災から半年以上経っているものの、ほぼ何も変わっていないのではと思われる光景だった。

 山岸氏の自宅玄関のドアも大きく斜めに傾き、正面から邸内に入ることはできない。山岸氏は庭から敷地内に入ると、粉々になったガラスドアをこじ開け、土足で部屋の中に入った。

「お正月の準備をしていたけれど、全てダメになってしまいました」

 床の間の壁は剥がれ落ちて内部の断熱材はむき出しとなり、初日の出が描かれた掛け軸は破れている。居間の壁には<新しい風>と記された、孫娘の書初めが掛けられていた。

「地震直後の記憶ははっきりしませんが、天井に吊り下げていた蛍光灯が落下して頭を直撃しました。ハッと意識が戻ると、同居している息子の妻が『お義父さん、早く逃げなきゃ!』と助けに来てくれ、すぐに家の外に避難したのです」

 仕事机の前に腰かけた山岸氏は、こう溢した。

「前を向かなきゃいけないけど、この現状を見ると、やりきれないよね……」

 この日は、地震直後の火災で全焼した「輪島朝市通り」も訪問した。だが、建物は一つもなく、文字通り“焼け野原”で、通りに200以上の露店がかつては並び、毎朝多くの人で活気を帯びていたとは信じられないほどだ。山岸氏も「これは酷いもんだね……」と呟くばかりだった。

 

被災直後は毎週東京へ

 佳子さまが総裁の日本工芸会で参与兼漆芸部会副部会長を務める山岸氏。被災直後から、後進のために力を尽くしてきた。今年1月末には、東京で行われた日本工芸会の会議に出席。被災から間もない中で、自ら輪島の被害状況を報告した。被災時に骨折した左肩を三角巾で吊るす山岸氏の姿に、集まった役員たちからは、「山岸さん、来てくれたのか」と驚きの声が上がったという。

2024.11.25(月)
文=「文藝春秋」編集部