「男同士の友情に、痺れるような感激がありました」
私は子どもの頃にこの短編が大好きでたまらず、小学6年生のときに最初から最後まで、挿絵も含めて自由帳に筆写し、夏休みの自由研究として担任の先生に提出しました。
竜を捕まえたムーミントロールがスナフキンに会いにいったとき、「ふたりは男の友情で深くむすばれて、しばらくだまってすわっていました」と叙述されます(『仲間たち』p.98)。その男同士の友情に、痺れるような感激がありました。孤独なニューロマイノリティとして、そのような友情に飢えていたからです。
トーベにはアトスとの恋愛のあとに、あるいは恋愛中にも、アトスに対し同性間の友情のようなものを感じる瞬間があったのでしょうね。ニューロマイノリティの人々にセクシャルマイノリティの性質が目立つことをすでに述べましたが、いわゆる「ノンバイナリー」(男女どちらでもない、あるいはどちらでもあるなどの性意識)を自認するニューロマイノリティはとても多いのです。
トーベにもそのような感覚があって、これまでにも述べたようにムーミントロールという男の子のキャラクターにじぶんを仮託していたのではないでしょうか。
ところで、映画の『TOVE/トーベ』には、トーベがヴィヴィカと初めて性行為をしたあと、アトスに「息をのむほど華麗な竜が舞い降りたようだったわ」と語る場面がある、ということを前に書きました。ということは、「世界でいちばん最後の竜」の竜とはヴィヴィカのことだったのではないでしょうか。
その竜がムーミントロールではなくスナフキンを好きになってしまうという物語の内容は、つまるところヴィヴィカとアトスというトーベのふたりの恋人が、トーベ自身を差しおいて惹かれあうようになったらどうしようか、とトーベは不安に思ったことがあって、あるいは睡眠中にそのような悪夢を見たことなどがあって、それがこの短編に結実したということではないかな、という気がします。
おそらく本作は、一般的な読み方をすれば、スナフキンがおとなびた分別によって、親友ムーミンの悲しい気持ちをいたわり、彼を傷つけないように巧みに三角関係を解消した話ということになるでしょうが、私の推理があたっているとするならば、この短編もまた何重もの分身現象を示している「自閉芸術のきわみ」ということになります。
なぜスナフキンは旅をし、ミイは他人を気にせず、ムーミン一家は水辺を好むのか
横道 誠
定価 1,870円(税込)
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2024.10.29(火)
文=横道 誠