が、この先があるのです。ストーリーを練りながら、もっと面白い展開にならないかを検討する……もしこんな人物がいてこんな行動をしたり、こんな事件が勃発したら、小説が俄然盛り上がる……。で、そうした「望ましいストーリー」を可能にするようなファクトを探し出す。これが2度目の取材となります。先生がすごいのは、2度目の取材の結果、ストーリーを保証するファクトが見つからない場合、その話は捨ててストーリーを変更しないこと。事実の裏付けがない話は、たんなる空想であってリアリティに欠けるというのです。作品の迫力は、こうした取材と創作、現実と想像の往復運動によって支えられていると言えるでしょう。
先生の涙
先生から学んだこと、教えられたことはたくさんあります。
物語の前半、主人公である陸一心が、内モンゴルに追いやられ、黄書海という囚人に出会う。黄は日本から帰国した華僑(かきょう)で、一心が日本人だとわかると、母国語を知ることの大切さを説き、彼に日本語の読み書きを教えるわけです。
一心が黄書海と出会うきっかけになったのは、黄が吹いていた口笛でした。先生は最初から口笛の曲を「さくらさくら」に決めておられたのですが、私はちょっと疑念を呈しました。「『さくらさくら』って“いかにも”すぎませんか? 何か他の曲を考えましょうか」と。すると「他の曲はあかん、『さくらさくら』やから良いんやないの」と一蹴されたのです。
同じようなやり取りは、一心が日本を初訪問するシーンでも生じました。彼は信濃の満洲開拓団の人たちと一緒に富士山に行く。そして周囲の人たちの打った柏手(かしわで)で幼年時代の記憶がよみがえります。私は先生に、「富士山となると風呂屋のペンキ絵を連想しちゃう。長野の生まれなら、富士山より常念岳(じょうねんだけ)や御嶽(おんたけ)のほうがリアルじゃないですか」と申しました。先生は強い口調で「いや、富士山やないとあかん!」。
2024.10.26(土)
文=平尾隆弘