これらは結婚前のお手紙に書かれたことですが、こういうお母様の思いは日常の中でも感じましたか。
谷川 あまり感じませんね。
ひとり息子の谷川さんが誕生したのは、結婚8年目の1931年。実は徹三は多喜子さえいれば、多喜子は徹三さえいれば何も要らない、子どもは要らないという考えだったため、危うく堕ろされるところだったという。
多喜子の父が孫を欲しがったため、谷川さんは無事に誕生できた。そしていざ生まれてみると、多喜子は息子に一目惚れし、それからは夫より谷川さんに愛情を注いだ。
時を同じくして徹三には恋人ができていた。家を空けることもしばしばあったという。
母は近い存在であり、父は遠い存在でした。
内田 お母様はお父様にとことん惚れているところを俊太郎少年には見せまいとして、お父様には枯淡な態度を取っていたが故に、お父様の目が外のほうに向いてしまったということは?
谷川 そういうことではないと思うんですけどね。
僕はひとりっ子で、親との関係でいうと圧倒的に母親とのほうが密接でした。それが嫌だと思ったことはなく、むしろ自分には快かったんでしょうね。それで得たものといえばいいのか、失ったものといえばいいのかよくわからないけれども、親との人間関係ということは、あまり考えてなかったような気がします。
それは僕の感性の問題もあると思うけど、客観性みたいなものに気がつかないで、父親とも母親とも付き合っていたわけです。母は近い存在であり、父は遠い存在でした。そして父親は人間関係には冷たかったと思います。
内田 冷たいのに、人が嫌いなわけではないんですね。
谷川 どうなんだろうね。結婚してからも好きな女性が何人もできた人だったわけだから、人が嫌いではないんでしょうかね。
この家族会議は何かが破綻している
内田 私の父もいっぱい恋人がいた人でしたが、父の場合、自分の恋人に関する相談を私の母にしていたんですよ。私が大人になってからですが、母は母で私に「こんなことをお父さんが聞いてきたんだけど、どう答えればいいかしらね」なんて言ってくる。この家族会議は何かが破綻していると思いました。
谷川 いいね(笑)。そういう家族関係というのはよくわかるような気がするね。
内田 え、そうですか。
谷川 人間関係が希薄とまでは言わないけれど、そのぐらいの関係で生きるのは嫌じゃない。いいじゃん、そのぐらいでうまくいってるじゃん、と思うんですよ(笑)。
2024.10.08(火)
文=内田也哉子