梅子も花江も…多様な「変わり者」が描かれていた
結婚して子育てをしながらも、子どもたちを父親のような家庭を顧みない大人にしたくはないと考え、法律を学んでいる梅子も、多数派に見えて、多数派ではないひとりである。梅子が夫の浮気と急逝、それによって義母の世話を強いられたり、浮気相手と遺産相続で争わないといけない状況になったりしながらも、「直系血族及び同居の親族は、互いに扶(たす)け合わなければならない。」という民法第730条を逆手にとって、すっきりとした顔で家族の前を去っていくシーンは忘れられない。
このドラマの中では、最も多数派の考え方を持っていると思われていた花江ですら、「変わり者」ではないとは言い難い。
花江はもともとは、女学校から寅子と一緒であったが、学生時代に結婚を決めることが女性の幸せだと思っているような、当時の女学生の中では多数派の中のひとりであった。寅子の兄でもある夫を戦争で亡くしてからも、猪爪家の一員として、寅子や寅子の弟や、自分や寅子の子どもたちと一つ屋根の下で家族として生きてきた。しかし、外で働く寅子たちに対して、コンプレックスの気持ちがないわけではない。寅子の友人たちが、花江を女中と勘違いしたときにはショックを受けたこともあった。
そんな花江がアメリカ人を家に入れた際、英語を話しているのを息子たちに驚かれるが、それを見て寅子が「あなたたちのお母さんは、女学校を出ているのよ」と説明をするシーンがある。筆者は花江のような家で家族を支える立場ではないが、隣で生き生きと活躍する女性を見ているだけで、自分には何もできないと引け目を感じていた時代があるために(実際にはそんなことは思う必要はないが)、花江の気持ちが痛いほどわかるのだった。
寅子のような法曹界で活躍する女性たちがこのドラマでは主流であるからこそ、多数派だと思える花江ですら、多様な「変わり者」の一人なのではないかと思えることは興味深い。
彼女たちの描かれ方は、「憲法14条」に繋がる
ここまで書いてきてわかるのは、ドラマに限らず、世の中で多数派ではないこと、つまり「変わり者」はたくさんいて、多様であるということは、ごくごく当たり前のことであり、このドラマが決してマジョリティに焦点を当てて描こうとしたのではないということだ。
その中には、朝鮮から日本に来た崔香淑(ハ・ヨンス)や、同性のパートナーと交際している轟太一(戸塚純貴)なども重要なこととして含まれるだろう。
この視点を得ることで、『虎に翼』は、「インターセクショナリティ」、つまり、人種、性別、階級、性的指向、性自認など複数の個人のアイデンティティが組み合わさっていることを意識しながら、社会を見ることのできるドラマであることに気付く。
それは、ドラマの中で何度も出てきた憲法14条の「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という条文ともぴったりと重なるのだ。
2024.09.27(金)
文=西森路代