別なところでは「そりゃ私だって、聖子さんみたいな曲を歌いたかったですよ」と本音をチラリと語ったこともある。こういう曲を歌うのは自分だけで十分、とも。
だが小泉は、期待には全力で応える人だ。「私が歌うしかないよね」と腹をくくって、フルスロットルでこの曲を歌った。彼女は19歳にして“時代を背負う覚悟”があった。
『なんてったってアイドル』なぜ生まれた?
新路線に舵を切った『まっ赤な女の子』から2年半。その集大成であり、1つの頂点ともいえる『なんてったってアイドル』はどうして生まれたのか?
1985年発売のアイドル楽曲で、田村Dが大きな衝撃を受けた曲は『卒業』以外にもう1曲あった。7月発売、おニャン子クラブのデビュー曲『セーラー服を脱がさないで』である。
田村D「斉藤由貴さんが出てきたと思ったら、半年経つと今度は『おニャン子』になるんですよ。日本って本当に、今まで主流だったものがすぐにコロッと変わる国だなって思いました。だって『セーラー服を脱がさないで』っていう曲を、素人の女の子たちが歌って踊るんですから、やっぱり衝撃的じゃないですか。楽曲自体も、おニャン子という素材自体も新しくて面白いし、番組も面白いなと思いました」
フジテレビ系列で、1985年4月から1987年8月まで放送された『夕やけニャンニャン』。深夜に現役女子大生たちが出演して人気を呼んだ『オールナイトフジ』(1983年4月開始)の女子高生版を作ろうということで始まった、平日夕方5時から放送の生番組である。
スタジオには「学校が終わって、そのままスタジオに来ました」という感じの(実際そうだった)女子高生たち=おニャン子クラブのメンバーがいて、レギュラー陣のタレントたちとさまざまな企画に挑戦するバラエティ番組だった。
番組内には『アイドルを探せ』というオーディションコーナーも設けられ、合格者はおニャン子クラブの新メンバーとしてレギュラー出演できるシステムになっていた。
選抜基準は「ちょっと気になる可愛い同級生」。おニャン子のメンバーにとって番組出演は部活のノリで、学業優先がルールだったので「○○ちゃんは期末テストがあるので、今日はお休みです!」なんてこともしょっちゅうあった。
そんな、既存のアイドルにはなかった身近さが若い男子たちの心をワシづかみにして、イベントにはファンが殺到。デビュー曲『セーラー服を脱がさないで』はいきなりオリコン最高5位を記録した。その後、おニャン子クラブのメンバーは河合その子を皮切りに続々とソロデビュー。順繰りにオリコン1位に輝き、チャートを席巻することになる。
2024.09.19(木)
文=チャッピー加藤