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自分はロロの世界に存在しない人間

──「飽きた」その先を見つめ直すというのは新しい視点だなと感じます。気づいていなかった視点や新しい視点を知るという意味では、この作品のテーマ自体が短歌そのものと共通点があるようにも感じますが、短歌をつくられているお二人はこの作品に参加してどう感じていますか?

ジェロニモ 今回の脚本にはお笑いだったら「いまのこのセリフのやり取りだけでもうコント一本できる」みたいなものが連続していて、これってある意味短歌における連作のような行為と近いのかなと思いました。短歌一首の中で扱える感情ってひとつだと僕は思っているんですね。短歌1首がお笑いのネタ1本。今回の作品はそれがどんどんつながっている。

 最初に三浦さんは「歌集を読んでこんな作品をつくろうと思った」とおっしゃっていましたが、まさに歌集を一冊つくるような形でこの作品がつくられていったのかな、と。

上坂 人間が本当の気持ちに気づくとか、自分の考えを見つめ直すとかって、私、全ての創作の1番面白い部分だと思っていて。映画でも小説でも、そこがめっちゃ好きなんですよ。今回の作品にはそういう要素がふんだんにあります。

 それと、私の人間性って本来ロロの世界に存在しない人格だから、「自分とすごく違うな」って稽古中ずっと思っていて。

三浦 (笑)

上坂 私は本当の気持ちとか、「自分はこう思う」ということをコンマ1秒で行くところがあるんですよ。薄々、これはみんなと違うっぽいなと思っていたんですけど、この作品に出てくる人もそうだし、ロロの皆さん、三浦さんやジェロさんと話す中で、なんかやっぱり違うらしいと。「人間っていっぱいいる!」と思って勉強になってます。

──薄々感じていたことが、今回はっきりしたわけですね。

上坂 創作を一緒にやると、やっぱり人生の話にも及ぶし、私がやる役も自分と全然違うなと思いながらやってたりもするから、そういう「誰か」の役をやることを通して、自分と違うけどこうやって生きてる人がいるなと強く感じて。いろんな創作を読む上でも勉強になるなと思います。

──上坂さんはこれまで、「自分はこの世界に存在しない」という感覚を持ちながらロロの作品をご覧になっていたんですか?

上坂 自分には絶対つくれない話というのが魅力でした。たとえば『いつ高』シリーズも、ちいさな人間関係の小規模な話で、だけど「うわ!」となる瞬間、高まりがあって、自分では考えたこともないところにいつもロロは連れて行ってくれる。そこが好きでした。

──せっかくなので、ジェロニモさんが考えるロロの魅力も聞かせてください。

ジェロニモ お笑いって、ある意味でお客さんを信用しないという前提があるんです。どんな人が観ても100%わかるものをつくる、舞台上でのやり取りですべてを説明しきるのが、お笑い的にひとつの美学であったりする。

 でも、ロロさんのお芝居を観ていると、わかるとわからないの揺らぎがあるんです。「さっきのシーン、だんだんわかってきたな」という感覚があったりする。すぐにわかる面白さも、お客さんを信用して投げかけている面白さもある、そのバランスが絶妙だなと思います。

──では、同じ歌人として、ジェロニモさんから観た上坂さんの作品の魅力は?

上坂 こわい……。

ジェロニモ 歌人としては恐れ多いので、ふつうに読者としての感想ですが、上坂さんがおっしゃっていた「ロロの登場人物に私がいない」と同じように、僕も上坂さんの歌の登場人物には自分がいないなと思うんです。上坂さん自身のご経験をもとにつくられた歌は、僕とは違った感情の動きや語彙の選択を感じられる。めっちゃ速いカーレースを体験できるゲームマシンのような感覚です。自分にない経験ができる楽しさのある歌集。

上坂 よかった。ありがとうございます!

2024.08.23(金)
文=釣木文恵
撮影=佐藤 亘