たとえば原作にない冒頭のシーン、真夜中の部屋で藤野が学級新聞に載せる4コマ漫画を描いているシーンでは、机の上の黒い板に見えたものに藤野の顔が映ることによって、それが鏡であることが観客にわかる。アニメーションは、黒い四角に顔が映る絵の表現によって「その物体が鏡である」と観客の脳に定義する手法であることがそのシーンにはこめられている。

 また映画版のオリジナル演出として、藤野が学級新聞に描く4コマ漫画をアニメーション化して見せているのだが、実はその絵は原作の中の藤野の絵より少し稚拙に、「小学生にしては上手い絵」程度に描き直した上でアニメとして動かされている。井の中の蛙として自惚れていた藤野が登校拒否児童の京本の絵に打ちのめされ、必死で練習して上達するが京本にはどうしても及ばない、という成長プロセスそのものを「変化していく藤野の絵を作り手が描く」という手法で表現されているのだ。

 

 わずか58分間のアニメーションだが、こうした絵と演出の細部の技巧を数え上げればキリがない。藤本タツキの原作コミックが白と黒で描かれたシンプルな楽譜だとしたら、それを絵のオーケストラとして演奏するような広がりが映画版の『ルックバック』にはある。

 藤本タツキの絵柄をコピーするだけではなく、コマとコマの間にひろがる空白の時間を「藤本タツキならこう描くだろう、藤本タツキが描くこの年齢の藤野ならこういう絵を描くだろう」と二重三重に想像して線を描いていくような「感性のシミュレーション」がそこにはある。それは人間が人間を想像しながら描く手描きアニメの醍醐味だ。

 それはこの映画のパンフレットに掲載された原作者・藤本タツキとの対談の中で、監督・押山清高の「僕自身も絵描きなのでむず痒いですが、この作品が絵描きへの讃歌になってほしい」と言う言葉にも表れている。絵描きのエモーションをダイレクトに出すために原画をそのまま画面に映すという手法を説明しながら、押山監督は藤本タツキが一コマごとに絵柄を探りながら描いていると感じるところこそ、「そこが人間が描く絵の生々しさで、魅力なんです」と語る。

2024.08.24(土)
文=CDB